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おっさんの涙と男らしさ

おっさんの人生は、辛い。

ツイッターに突然フレンチクルーラーの文字が躍った。その理由は日本で最も有名なお笑い芸人のスキャンダル記事が発端だ。

妻子がいる身でありながら20代女性とパパ活をして、その一部始終をパパ活女子が週刊誌に売った、というよくある芸能人の不倫女遊び騒動であるが、公開されたその内容がテレビで見せる狂犬のようなキャラクターからは想像できないような気づかいや優しげのある姿であったために、スキャンダルが明るみに出たにもかかわらずおっさん芸人の好感度が男性を中心に上がる、というこれまでにない事態に発展している。

中でもミスタードーナツのフレンチクルーラーをめぐるエピソードは筆者を含め多くのオッサンに刺さるものだった。

目ざといパパ活女子が事前にお笑い芸人が好きなドーナツがフレンチクルーラーであることをネットで調べアポの場に持参したところ、なんと芸人のおっさんが泣き出したというのだ。

お笑いの世界のみならずテレビメディアの世界でもトップに君臨し、芸能人の妻と音楽の世界で成功した立派な息子も持つ、日本で有数の地位と権力、使いきれないほどの金、自慢の家族を持つはずのおっさんがミスドのフレンチクルーラー一つで涙を流すエピソードには、地位や金、家族ですら癒すことのできないおっさんの人生の辛さが詰まっている。

おっさんの人生は何故これほどまでに辛いのか?それは男らしさから下りられないからである。

男らしさから下りろ!とリベラリストやフェミニストはしきりに発言してきた。しかし、男らしさから下りたおっさんたちがどこへ行けばいいのかは誰一人示してはくれない。男らしさに囚われた男性が苦しんでいるのは見て入れない、肩の荷を下ろして自由になって、とスピーチして喝采を浴びた女優のエマワトソンが男らしい彼氏ばかりを選んで付き合っているのには笑ってしまった。リベラリストの男性たちの間でも尊敬されるリーダーはみな賢くスポーツも万能でハンサムな強い男たちだ。フランスのマクロン大統領やカナダのトルドー首相らを見ればよくわかるだろう。男らしさから下りるよう促しているリベラリストもフェミニストも、みな男らしくない弱い男は好まない。

若者であれば男らしさから下りても所属するコミュニティによっては多少の需要はあるかもしれない。何故なら老若男女問わず人は若者が好きだからである。ただそれは一時的なもので、男らしさを身に着けることが出来なければいずれ誰からも相手にされなくなる。若い男子が弱くても許されるのは、”将来男らしさを身に着ける”ことを期待されているからに過ぎない。猶予期間を与えられているだけなのだ。もしそのまま何の責任も負えず、誰にも頼りにされない弱い男性のままおっさんになったとき、社会は満を持しておっさんから人権をはく奪する。

そんな容赦のない世界で、いい歳になったおっさんがメンツをかなぐり捨てて男らしさから下りることは投身自殺のようなものである。頼りがい、甲斐性、稼ぎ、忍耐、努力、責任、自己犠牲……男らしさで括られるこれらの美徳を持つことにより、おっさんは社会から人権を与えられる。男らしさを持たないおっさんは男女問わずどのコミュニティでも必要とされない。

想像してみて欲しい。おっさんが急に「前々から仕事が辛かった。俺のしたい仕事は本当はこんなことじゃないんだ。家庭を背負うのも疲れた。しばらく仕事から離れてゆっくり1人になりたい、自分探しをして人生を見つめなおしたい」などと言い出せばどうなるだろうか?これが女性であれば理解を示してくれる人もいるであろう。しかし中年のおっさんが言い出そうものなら袋叩きである。「甘えるな。責任を放り出して何をティーンエイジャーのようなことを言ってるんだ。風呂にでも入ってぐっすり眠ればすっきりするからさっさと仕事に戻れ」「仕事を辞めたら生活はどうなるの?しっかりしてよ男でしょ。家族のことを考えなさい」と喝を入れられるのがオチだ。誰も剥き身のおっさんの気持ちなど興味はないのだ。興味があるのはおっさんが何をできるか、何を提供できるか、何者であるのか、だけである。

そしてこれはいくら社会的に成功し、金や地位、名誉、家族を手に入れたおっさんでも変わらない。いや、むしろ成功したおっさんの方がそこら辺のうだつの上がらないおっさんよりもある意味では”辛い”立場に追いやられることになる。それは何故か?またおっさんたちが男らしさを少しでも下せる場所は存在するのであろうか?

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