谷津田の民俗考察vol.2

●『民俗の原風景:埼玉イエのまつり・ムラの祭り』(大館勝治著 2001年)
埼玉県立歴史博物館の館長をつとめた筆者が、公私を通じて調査した埼玉県内の民俗の姿が記録されている。

・「ムラ」が精神的な拠り所であった。
稲作、麦作、養蚕にしても、農業が機械化される以前の暮らしにおいて、働くことと暮らすことは一体であり、ムラなかでは、皆が共に働き、子どもたちも働き、支え合う共同体であった。苦労を共にし、感謝があった。だからゆえに、ムラが精神的な拠り所であり得た。

・去来信仰
「作物や養蚕の出来不出来を、技術の問題だけではなく、心の問題としてとらえ、神祭りや儀礼を執行することにより豊作が約束される」と考えられていた。あらためて、農業が国の、社会の、中心に存在した、太陽神を基本とした神道および民俗的信仰の姿の、ありし日を思う。
「日本の稲作は、その開始から終了に至るまで、折り目折り目に田の神を迎え、無事作業が終了すると今度は送るというように、田の神が行ったり来たりする田の神去来信仰によって守られてきた」。
働くこと、暮らすこと、そして祈ることは、一体だった。さらに、「稲作儀礼を人生儀礼と対比する見方」がある。お米の一粒一粒が、命なのである。

・「イエ」
埼玉県内の田植え後のサナブリ(神送り)の行事は、「苗に宿っているサの神が家の中に祀られているオカマ様に帰っていく去来の仕方」である。
祈りとは、まつりとは、何か。祭=まつる行為。コモリ=穢れをはらい、神をおろす。「イエ」そのための空間でもあった。
to be continue.

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