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愛のおのずから起こるときまでは

 結婚した頃のキリスト教のイメージは自由・平等・博愛、そして右の頬を打たれたら左の頬を差し出す的な犠牲的精神と無償の奉仕活動……だったような気がする。

 周りの教友に老若男女の別なく私は聞きまくった。
「どうして神様がいるのに戦争は起こるんですか?」
「神様がいるなら私の壊れた膝も治りますか」
「神様を信じているのにあの人はなんで幸せそうじゃないのですか」

 考えてみると幼い頃から自分以外の人は必要なかった私。友達がいなくても寂しくなかったし、裏切られるのはわかっていたし、いじめられても泣かなかったし。いろんな悲しいことは無視して突き進んだ29年の後。。。。

一生懸命に私の話に耳を傾けてくれる夫に出会った。

 だけど残念ながら他人の言葉は私の心にとどまらない。「相手がどうしてそんなことを言うのか考えなさい」と伝道者の奥さんによく言われた。でもそのときは、私の心は私の中だけにあって他を見ることはなかったのだ。

 愛のおのずから起こるときまでは
 ことさらに呼び起こすことも
 さますこともしないように
 (雅歌2章7節後半のみ)

 そのとき読んでもらって覚えている聖句。30数年経った今は心の真ん中にある。そしてかつての私のように神様がいなくても特に不便なく幸せだと思っている人達を今度は私が待っているのだ。

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