命の木の道を守らせた
モーセ五書の最初にある創世記は兄弟げんかの話が多い。仲直りしたりしなかったり……。それを見守る神様の怒りと慈愛の眼差しを感じる内容だと思う。ここ10年ほど聖書の通読を始めて、新訳からはじめて旧約に戻る年もあったのだけど、人間の最初から描かれている旧約から読み始めることのほうが自然に感じてきた。
1日6ページの聖書が日々のルーチンワークのようになっていると読み落とすことも多いが、年をとると忘れてしまっていることもあり、毎回新しい発見があるのも事実だ。
神は人を追い出し、エデンの園の東に、ケルビムと、回る炎のつるぎを置いて、命の木の道を守らせた。
(創世記3章34)
こんな部分に感動するのは私ぐらいなのかもしれない。でもリンゴのおかげで善悪を知り羞恥心の芽生えたアダムとイブがエデンの園を追い出されたとき、神様は不老長寿の実がなる命の木がまだあることを思い出して厳重警備をさせた。このままでは神と人が同じ存在になってしまう。。。相当焦ったのではないだろうか。
エデンの東にあったこの2本目の大事な木は「善悪を知る木からはとって食べてはいけない(創世記2章16)」という注意事項には含まれなかった。それはリンゴを食べてしまえば自ずと気がつくことだったからなのだろう。
このとき命の木の実をたべていたら聖書はなかったかもしれない。そう思うといつもこの部分でにやにやしてしまう私だった。
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