関西の「おもんない」は強烈な意味らしいと聞いて気になったこと
大阪の画像お借りしました。Xで、関西のマジトーンの「おもんない」は強烈な意味だっていうのを見ました。善悪や価値観などが合わないという意味が含まれているということでした。すげぇ!全然知らなかったです。
大変バズったXに関連した記事がたくさん出たんですが、どこだったかな…とにかく、その1つに、次のようなことを書いてあるのがあったんです。
私は関西出身ではないので、Xも記事も含めてこれが真実に近しいのかどうかもわからないのですが、真実だと仮定した場合、関西と関東だとコミュニケーションの大前提的なところが、もしかしたら結構違うの!?って気になり始めました。
関東民的には「ツッコミ」いらないことが多い
繰り返しになりますが、上記までを「真実に近しい」とした場合での話としてです。
関東に生まれ関東で育ち、関東で生きている私にとって、面白い話の方が結構稀です。いや、関東というと一括りにしすぎかな。少なくとも私の周りではってことにしといた方がいいかもしんないけど、いったん関東民ってこうじゃない?ってことで話を進めます。
さて、関東民の私にとって、次の7つくらいがおんなじくらいの頻度であります。
面白い話
くそどうでもいい話
そこそこどうでもいい話
ただただ長いだけの話
くだらないけどクスッとくる話
真剣な話
秘密の話
まだあるかもだけど、ざっくり。
関西だと2~4番には「つっこんであげる」「オチをつけてあげる」が正義なわけですよね(繰り返しになるが以下略)。あくまでも善意でそうしてあげることによって相手も救われるという考え方が根幹にありそう。
一方の関東民は笑いに変えたいという欲求がない気がするし、なんなら「話の腰を折らんでおこう」「相手がどんな気持ちで話してるかわからないから、よけいなこと言わないでおこう」の方が強いと思う。話してる側も「面白くしてほしい」とは思ってないし。
ダラダラしゃべっている時間・空間を共有することだけに意味があるときすらある、というか。
めっちゃくちゃ長時間話したのに、何も記憶に残らないこともあるし、ましてや「面白かった」ともならないしっていう謎の会話がかなりある。でも、そういう会話嫌いじゃない。
もちろん、死ぬほど興味ないことを本当にだらだら話されるのをただただ聞くだけとかだと「もうやめてちょんまげ」って思うことはありますけれど(THE校長先生のお話みたいな)、それだって笑いに変えたいとまでは思わないし、本人に「もうやめて」って言うこともないし…。
笑いの感性が似てないとシンドそう
「ツッコミ」を「面白い!」「ありがとう!」と思う、同じような感性だったら良いんですけれど「え?なに?まだ話してんだけど」とか「言葉キツいわ。ムカついたわ」ってなっちゃう人は関西にいないのかな。
それとも関西の人には、何かこう、共通言語・共通意識的なものがあるのかな。「お約束」じゃないけど、こうなったら笑うタイミングですよ的な共通認識とか。関東民にはコレがない気がするんだよな…。
関東民だなんだって言ったって、上京してくる人がかなり多いから、生まれ育った環境から共通するものもへったくれもない、っていうのが関東在住民の実情かもしれないんだけど。
だから会話がわりと探り探りで、あんまり強いこと言わんでおこうっていう防御が強いから「ツッコミ」しづらいっていうか。
関西の笑いの歴史を調べてみたらわかるかな
関西では新喜劇を見て育つ人がいっぱいいるとも聞いたことあるので、そういう子供の頃からの教育によって共通認識的なものが完成するのかな。
それとも「お約束」的に笑ってはいるけれども、実際に面白いかどうかは別で、笑うタイミングだから笑うみたいなこともあるのかな。
ここらへんを、上手に解説してくれている記事とか本とかあったら知りたいです。テレビで芸人さんが「東京で売れるには~~」みたいな話してるのもよく見るので「そんなに違うものなの!?」という単純な興味です。
関東と関西の違いはよくテレビでもとりあげられるから目立つけど、もしかしたら北海道や東北、九州とかならではの笑いの価値観とかもあるかもしれない。それに私は関東民だけど関東民の笑いの傾向も知らないな、そういえば。
「おもんない」が「強烈な拒否」って話からはズレちゃったけど、気になったメモでした。いつか調べて何かわかったらまた書いてみようと思いました。おしまい。
補足
関西の芸人さんとかのテレビ見てるのはとても好きです。でもそのボケツッコミの面白さは見聞きして楽しいもので、自分の日常に落とし込むものではないって感覚があります。「面白い=自分もやる」じゃない感じ。伝わればいいなぁ。
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