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【育児】帰ってきた子どもを「おかえり!」と出迎えられる親になりたい。

幼い頃の私は、「鍵っ子」というやつだった。

小学校が終わるとそのまま学童に行き、夕方家に帰って鍵を開けて誰もいない家に入る。手を洗ってうがいをして、テレビをつける。おじゃる丸とか忍たま乱太郎が放送されていて、ベランダに干してある冷たくなった洗濯物を取り込む。小学校3〜4年生くらいの記憶。

学校や学童は楽しかった。近所に住む友人もたくさんいた。それでも、家に着く直前までは友人とワーワー騒いでいた分、家の鍵を開けてドアを開けた時の、薄暗くシンとした部屋とのギャップをいつも感じていたように思う。


親として、子どもの成長をいつもすぐ近くで見守れる方がいいのだろうか。

仕事と家庭に悩む親たちの永遠のテーマだ。



私には兄妹がいるが、兄妹によって意見が違うのが面白い。

長女の私は、働く母を尊敬していたし自立心が強かったのか、早く一人暮らししたい、働いて自由に使えるお金が欲しい、と思っていた。
母が働いていることにも大きな不満はなかったように思う。

母と買い物に行くのもすごく楽しかった。母はよく「お父さんには内緒ね」と言って外食したり服などを買ってくれた。塾や習い事をたくさんさせてもらえたのも、母の収入があるから出来たことだと思う。

反対に妹は、「さみしかった」と言っている。「だから自分は子どものそばにいてあげたい」とも。

私と兄は3歳から、妹は0歳時から保育園だったようだ。その違いが関係あるのかはわからない。

少し脱線してしまった。


自分に子どもが産まれて親になった今、どうするのが良いかとても悩む。


親が働いていて、一人の時間や子どもだけの時間が長かったことに不満はなかったつもりでも、幼い頃のさみしかった記憶は、今でもふと思い出したりするからだ。

「友達の家は18時にはご飯って言ってたけど、うちはなぜ20時過ぎなのか。」と言って母を困らせたこともある。


小学生のある時、家に帰ると母がいたことがある。家の鍵がかかっていなくて、「おかえり!」と母が抱きしめてくれた。家の中が明るかった。嬉しかった。

「お母さんが家にいたほうが嬉しい?」

と聞かれたので「うん!」と答えた。これからはお母さん家にいるんだー!うれしいなー!と思っていた。

しかし、ほどなくして母は仕事に復帰し、私はまた鍵っ子になった。

母が職場の人に電話口で愚痴っているのを聞いた。

「私たちのために仕事辞めるわけじゃなかったんだ・・・」

母は仕事で嫌なことがあっただけなんだ、私たちのために辞めるわけじゃないんだ・・・と軽くショックを受けた記憶がある。

しかし振り返ると、本当に母に負担が集中していたんだろうな。父とは一緒に夜ごはんを食べていた記憶はあるものの、なんだか印象が薄い。


良い思い出もあれば、さみしかった思い出もある。

成人して、地元で同じように鍵っ子で育った友人とこの話をした時に

「お互い、友達がいたからうまく育ったところもあるよね」

と言われてそのとおりだなと思った。”うまく育った”という表現が適切かはさておき、親が帰ってこないさみしさを友達と一緒にいることで埋めることができた部分もあると思う。


つらつらと自分の思い出を語ってしまったが、子どもを保育園に入れる日も近いということで改めて考えるようになった。

自分の希望としては、仕事もしたい。でも、子どもを「おかえり!」と出迎えて抱きしめてあげる環境も欲しい。

結果、家でもしやすい、時間の融通が効きやすい仕事・働き方をしようということになる。

片手間で仕事をしようとか思っているわけではないが、仕事の場所と時間を、ある程度自分自身でコントロール出来る環境を、これから5年くらいかけて整えていきたい。

結構無茶な願望なのかもしれないけれど、夫は頼もしいし、親の時代よりいろいろ便利になっているし、きっと叶う!

ということで、まずは社労士の勉強を頑張らないと。

がんばるぞ。

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