大きなショックを受けた話

昨晩は銀座のバーで飲んだ。しかもそのバーは銀座の中でも社会のヒエラルキー的に上層の人たちが集まるお店らしい。

どうして私のようなしがない会社員がそこで飲んだかというと、私のパートナーが、勤務先のコンサル会社の社長(以下「社長」)と仲がよく、飲むことになり私も混ぜてもらった、という経緯である。

私は社長に薦められるままひたすらウイスキーを飲んだが、どれも絶品でこれまでのウイスキーの常識が刷新された。グラスいっぱいに広がる濃厚な香り、優しい喉越し、そして胃の中からゆっくり立ち昇ってくるスモーキーな香り。また飲みたい。

そして勿論酒だけではなく、社長にも畏敬の念を抱いてしまった。政治経済・歴史・科学の話、社会の見方の話、秒単位で行う仕事の話、コーヒーやお茶の専門的な話、映画に関する話、などなど広範な知識と経験に裏付けられたそのマシンガントークに私は頭の整理に精一杯で「はい」「そうですね」「そうなんですか!」としか相槌を打てなかった。

古今東西、分野横断的な天才は書籍やメディアで見慣れていたりはするけれど、それを目の前で見せられたというのは人生で初めてだった。

帰り道、ひたすら社長と自分のギャップに苦しみ、あまりのショックに自分の価値という実存的な問題が絶えず頭の中を駆け回っていた。決してあそこまでの地位がほしいわけでも、金が欲しいわけでもなく、ただただ仕事や人との交流を楽しみ、いろいろな知識や経験を系統立てて積んでいるあの姿に憧れてしまった。このような「憧れ」の感情は私のこれまでの人生において2度しかないが、いずれもかなり強力で、この3度目の機会も自分が変わる転機になるかもしれない。

あえてこの状況をたとえるなら少年漫画において、「主人公が少し修行して強いと思っていたにもかかわらず強敵に惨敗し、自己否定に陥る」という構造に近い。少年漫画ではそこから新たに修行を重ね、強くなって最終的に強敵を倒すのだが、「倒す」必要こそないものの、そういう気概は必要だと思う。

少なくとも今の私の生活の延長線であの姿にはなれっこがないので、人生の方向性を模索し、何をすべきで、その中のどこに注力する必要があるのかを考えなくてはいけない。

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