ミッドサマーを観ていい人、ダメな人

「人を選ぶ」「評価が分かれる」。

そういわれると、自分はどっちなんだろう!? と気になって余計観たくなってしまいますよね。でもこの映画、確実にダメージを受ける層がいます。アリアスターから言ってみればもしかしたらそれが真のターゲット層だったかもしれませんが、それにしては殺傷力が高すぎます。最悪死人が出るぞ、て結構本気で思ったので、メモしておきます。この映画は怖いとかグロいとか、そういうものに耐性があるのとは関係なく、殺られる層がいます。

まず鬱の人。現在進行形で鬱の人。または治療を受けていなくても鬱傾向を自覚している人。絶対に観ないでください。

最近過呼吸を起こしたことがある人。これが一番危ない。理由は後で述べますが始終我慢大会になります。観ないでください。

共感力が高い、または感受性が豊かで、映画を観ると「自分の話」としてのめりこんでしまう人。危ないです。


ここからはネタバレというほどでもないので書きますが、まず主人公は前提として鬱です。いつも助けを求める恋人は彼女のことを重荷に思っており、鬱の「発作」時に電話をかけると対応はしてくれますが内心「ちょっとうざい」と感じています。彼の友人たちも、「病んでる彼女を捨てて誰か他の女とヤッちまえよ」と促します。この時点で、鬱の人なら自分の心にどう響いてしまうかピンとくると思います。

そして、もともと鬱であった彼女に家族(父母妹をいっぺんに失う)の死が訪れます。我々鬱陣営の人間はここで既に逃げ出したくなるはずです。主人公の泣き声に誘発されて、喉がひくひくしてきます。(ここでもうつられて過呼吸になりかけた)万が一ここで「あ、無理かもしれない」という予感がしたら、速やかに退室してください。きっと無理です。ここから後、無理なシーンのオンパレードです。

「ここから舞台が変わるし」「グロとか平気だし」と思って観続けると、何度も何度も「過呼吸への誘い」がやってきます。主人公の過呼吸の演技がうますぎて、呼吸音を聞くだけで不安になるようになり、彼女がショッキングな場面に立ち会い、ストレスを感じ、人の輪から逃げるように外れた瞬間、我々鬱陣営にとって(心が健康な方とは別方向での)耐久戦が始まります。息をするのがつらくなり、終いには人の歌声、泣き声、呼吸音すべてが苦痛に変わります。そして終盤、過呼吸になったことのある人ならみんな「おい!それはあかんやろ!」と思うであろう過呼吸への対応として最悪手シーンが登場し、きっとそこで情緒が終わります。

そのあとに続く凄惨なシーンなんてもうぶっちゃけどうでもいいです。非日常だし。死ぬの私じゃないし。なんとも思わないです。とにかく私たちは、過呼吸にならないために耐えているのでそれどころじゃありません。

ラストの「やっと解放された…」という思い、どうでもいいからこの映像の連続から逃げ出したかった自分と主人公の姿が重なり、「自分がホルガ村に来たらこの振る舞いをしてしまうだろう」という恐怖でストレス値はマックスになります。よくできた映画だし、アリアスターは多分きっと自身も躁鬱です。でなきゃ、あんなにリアルな「鬱」を描けません。女優さんも多分鬱経験者です。鬱の人で間違って観てしまった人なら言いたいことはわかるはずです。

私はエンディングまでなんとか耐えましたが、爽やかなフォークソングが流れた後またあの村の人間の歌声が流れた瞬間、油断しかけていた緊張の糸が切れ、「次は自分なのでは?」という恐怖で過呼吸になりました。

幸い自分は自分の過呼吸への対処を知っていたし、周りに友人がいたのですぐに収まりましたが、鬱の人、特に過呼吸になりがちな人が一人で観に行って、すぐに退室できない状況のままエンディングまで見た場合、非常に、物理的に、危ないです。

ミッドサマーはよくできた映画だし、心が健康なときならば「あーキモかった! ウケたウケた」という気持ちで観られるであろうことはわかります。ただ現状、公式から「観たら危ない人」に対するゾーニング、配慮、注意喚起といった姿勢が全く見られないので、死人が出ないようにこの部分をピックアップして書きました。

ミッドサマーがダメな人はホラー耐性がない人でもグロ耐性がない人でもありません。

鬱の人、過呼吸の人です。

こういうエントリは既にいくつか見かけましたが、私はそれを見ても「なーんだ、まあ鬱だけど、凄惨なシーンとか平気!」と思って観てしまったので、そういう問題ではないよ、ということだけお伝えしておきます。

死人がでないよう。ほんと、それだけが望みです。鬱の人、観るな。死ぬ。

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