“可哀想”という呪いの言葉
唐突ですが、子育て中
かわいそう…って言葉をよく言われた
外国語にもその言葉はあるけれど、日本ほどあらゆる場面で使われるような汎用性はないという印象
わたしが子育て中に言われると嫌だった言葉No.1がかわいそう
わたしは海外で子育てをしていたので、久しぶりに日本へ帰省すると、やたらめったらこの言葉が気になった
わたしの両親は言わなかった印象があるが、親戚とか近所の知り合いなどがしょっちゅう口にする
例えば、当時日本ではまだチャイルドシートが義務化されたばかりだったが、海外では当然のこと
参院退院時から乗せるのが義務
一時帰国の際はこのタイプに乗せていた
子どもをチャイルドシートに乗せるだけで
こんな窮屈そうなのに乗せられて可哀想に…
という
当の子どもは生まれた時から乗っているからご機嫌なのに、口々にカワイソウという
事故に遭い、怪我するリスク、命を落とすリスク、車から飛び出てしまう方がよほど可哀想な結果になるのに何が一体どう可哀想なのか?
オットの実家が離島なので飛行機で行くと言えば、こんな小さいのにかわいそう…
そもそも日本に帰国するために20時間くらい飛行機乗ってきてるのに…である
こんな薄着で可哀想、だの
こんなに着せて可哀想、だの
歩けないのに紐靴履かせて可哀想、だの
まあとにかく、よくもそんなに思いつくね!というくらい可哀想のオンパレード
うるっさいなあ!!!
と思うし、我の強いわたしはそれを間に受けて変えたりはしない
わたしはわたしなりに理由があってそうしているのだ
でも、そんなわたしでさえこの可哀想という哀れみを含んだ表現ってボディブローのようにダメージを受ける
誰だって自分の子どもが可哀想なんて思われたくない
まして一人目の子育てだったら自信をなくしたり自分を責めて落ち込んでしまう人も多いのではないか
可哀想というネガティブな感想だけ投げつけるくらいなら、まだ「こうしなさい」とか「こうした方がいい」と助言してくれるスタイルの方が、真っ向から反論も持論も展開出来るだけマシというものだ
可哀想って直接的な批難ではなく、感想に過ぎない表現なのに相手に対するコントロールが意識下にあるから余計にタチが悪い
可哀想って言葉は罪悪感をくすぐる
パパとお留守番なんて可哀想、とか
こんなに小さいのに保育園なんて可哀想、とか
まぁ本当に多種多様な可哀想攻撃があるけれど、あれはなんなんだろか、本当に
心から可哀想だと思っているのだろうか?
何か言いたいだけ?
当の子供はちっともかわいそうじゃないってことはハッキリ言いたい
っていうか言ってた!
我が子、全然かわいそうじゃないです
ヨーロッパでは…
個人主義なヨーロッパではとにかく人に干渉しないし、基本興味が無いので同調圧力も皆無
本当に子育てがしやすかった
可愛がってくれるけれど外野があれこれ言わない
わたしの親世代のご近所にはとても可愛がってもらい毎日のようにおやつを貰ったり交流は密だった
でもかわいそう含め何か言われた記憶がない
相談すれば自分の子育て経験など話してはくれた
ご近所だけでなく出かけてもそれは同じ
わたしは運転しなかったのでバスやドラムなど公共機関を利用していたが、どの乗り物も狭い階段を3段ほど登って乗り込む仕組み
ベビーカーだと大変なのだが、1人で持ち上げたことは一度もなく、お願いする前に必ず誰かがすっ飛んできてくれる、絶対に必ず!!
めちゃくちゃゴツい全身タトゥのお兄さんもだ
誰も乗客がいなければ運転手さんが手を貸してくれる
干渉しないけど、手は差し伸べる
この国ではこれがマナーなのだ
かわいそうと言う言葉は、いわゆる
泣きっ面に蜂、とか、踏んだり蹴ったり
主にそんな場面で使われるという印象だった
いま振り返ってみても
丁寧な子育てとは程遠い
死ぬこと以外はかすり傷
そんなザックリ育児だったけれど、可哀想なんて言葉を日常的に浴びたり、干渉されたり、周りの目を気にしたりせずに過ごせ、海外での育児はわたしには向いていた
日本に一時帰国し、可哀想って言葉を言われる度に
可哀想って呪いの言葉
そう思ってたという話
この言葉、育児中の人にかけるの
ホントやめてあげて欲しい
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