社長、5歳。
僕は今JR名古屋タカシマヤに催事出店で来ています。
朝のオープン作業の時に
「そういえば池田さん、おめでとうございます」
と言われ、何のことを言っているのだ?と自分自身ピンときてなかった。
とりあえず「うむ、どうもありがとう…」などと答えつつ空に浮かぶ右上の空間を見つめていた。
そしてハッとした。そうだ、今日は法人設立記念日なのだ…!
人は急に「おめでとう」と言われたら咄嗟に心当たりを探すものだということがわかった。そして、なんとなく、何個か思いつく。それってとても幸せなことだと思った。
ということで2月5日はポムダムールトーキョーを会社にした記念日です。
本日、株式会社ポムダムールは5周年を迎えました。
2014年、日本初となる業態のお店を作り、それを2018年に会社にしました。
会社にする前は個人事業として運営していたのですが規模が大きくなりすぎて法律に睨まれるようになってしまい、苦肉の策としての法人成りでした。
会社にしたら今まで許されたことも許されなくなる、ちゃんと勉強しないといけないな、と緊張感を持って判子を押したのが5年前です。
5年続いたという点に関しては本当によくがんばったな、と思っています。
僕も頑張ったし、従業員もがんばったし、ファンの皆さんもがんばった。
りんご飴を中心に皆で作った未来があると思っています。
みなさん、本当にありがとう。
あまり言うと嘘っぽくなるので感謝の言葉はこのくらいにしておこう。
5周年といういい機会なので【会社にしてからの5年間】をすこしだけ振り返ってみます。
題して
激動!写真で振り返る5年間!
5年後の僕から、5年前の僕へ。答え合わせの未来日記です
♦1年目、2018年(開業5年目)
急に求められるようになる社会性。
今まで逃げてきたツケが回ってきた。
社長になった。30歳。
自分の好きなことを好きなように楽しんでいた人間が急に社長という名札をつける。今思えばすごく可哀想なことをしたと思っている。
けれど多くの人が僕のことを社長ではなく人間として支えてくれた。
失敗を繰り返し、足掻いていた。もうだめだ、と足元しか見られなくなった時も必ず誰かが居てくれた。
初めて【正社員】を雇用したのもこの年だ。
新しくやってくる正社員はどこかの会社出身だ。僕のことを社長と頼ってくれるだろう。社長であれば知ってて当然、出来て当然という事も求められていくだろう。必死で法律を勉強した。
一方で、アルバイトの子に売り上げを持ち逃げされた。そういう苦しみも出てくるようになった。
【この年にあった嬉しかったこと】
お客さんや友人が僕を支えてくれた。
年間休日5日ほどという過密なスケジュールに癒しをくれて、話し相手になってくれた。
♦2年目、2019年(開業6年目)
ギリギリの精神状態で乗り越えた一年。
最後に残ったのは「ファンの期待に応えたい」その一心だった。
ポムダムールトーキョー新宿本店が5周年を迎えた年。
二号店となる大阪支店を作った年です。
いろんな事がいろんな所で起こり、その度に決断を迫られる日々。
お付き合いして同棲していた女性ともうまくいかなくなり、破局。
どこかで身の丈に合わない決断をしてしまったのではないか、判断を誤ったのではないかと過去に間違い探しを繰り返す日々。どこで間違えたのだろう。このまま全て終わらせてしまおうと自暴自棄な精神状態が長く続きました。
ここで従業員に「あなたのことを社長と呼ぶのが恥ずかしい」と言われ、トドメとなります。
僕は本音と建前というものをうまく区分けできない。社長としての僕と人間としての僕、それがごちゃごちゃになって、自分でもわけがわからなくなっていた。どこかで【建前って嘘じゃないか…】と思っていたのだ。(今でも思ってるけど、相手のペースに合わせるときなど、うまく使い分けている。)
社長ってのは全部建前で行動していったほうがうまくいく。感情で考えるべきではなく、ロジカルに考えた方が上手くいくことには気づいていたけど、なんか嫌だった。この頃はどちらか(社長を優先するか、人間を優先するか)に決めないと納得できなかったので苦しんでいた気がする。今はどちらも大事にしている。
従業員同士が口論になり、一方がトんで音信不通になるという事故も発生した。もう一方もその後、退職となった。人との別れをたくさん経験し、それらの責任をひとりで背負った。
日々の業務と並行するには自分のキャパシティが足りておらず、自身のちっぽけさを知った。
何度も悲しい終わらせ方を考えたが、ファンの声ひとつひとつがそれらの考えを打ち消してくれた。
でもこんなに苦しい日々なら、できる事なら機械になりたいと願い社長3年目を迎える。
【この年にあった嬉しかったこと】
車を買ったこと。
今の取締役である大阪店店長に車の購入をおすすめされた。
せっかく買うんだったらありきたりなやつじゃなくて知らない人に妬みの悪口言われるくらいの最高にかっこいいやつにしてほしい!と言われたので子供の頃からの憧れであった古めのジャガー(正しくはジャグワーだ)を買った。
僕がジャガーに憧れたのは漫画【こちら葛飾区亀有公園前派出所】の絵崎教授の影響だ。
両津が絵崎教授に「ジャガー買ったのかよ!」と言うと絵崎教授は「発音が違う!J•A•G•U•A•R!ジャグワーだ!」と訂正するという場面がある。
それに対して両津は「いいじゃねぇか通じれば」と面倒くさがる。
このやりとりが子供の頃すごく好きだった。
両津の主張は本当にその通りなのだ。ジャガーでもジャグワーでもジャギュヮでもなんでもいいじゃないか。めちゃくちゃ面倒臭い!しかしこんな面倒な人をも魅了するジャガー(ジャグワー)とは一体どんな車なんだろう…、と憧れた。
大阪店店長も気に入ったようで僕のジャガーに【ちわわ】と名づけ、駐車場に停まってるのを見つけてはボンネットのマスコットを回転させてひっくり返すというイタズラを仕掛けたりしてきた。
この車と過ごした時間は僕にとっての大きな救いとなった。
ちなみにジャガーの発音はどちらかと言うと【ジャーグヮー】だ。
♦3年目、2020年(開業7年目)
代表取締役の辞任願いを書いた年。
通販拠点になっている【りんご飴研究所】を作った。
ポムダムールがちらほら真似され、過激になり始めるのもこの年です。
そしてコロナが始まった年でもあります。
前回のnote【伊勢丹のりんご飴】もこの年。
コロナが始まって全ての業務が停止しました。
僕はすごく嬉しかった。
形容し難い複雑に絡み合った苦しみも一緒に停止したからだ。
これはチャンス…。そう思って全力でコロナと向き合った。
僕にとってコロナは敵ではなかった。最初からウィズコロナだ。
緊急事態宣言の時は通販を開始した。
なんでもいいからこの店と従業員だけは守りたい。
またあの日々を取り戻せるかもしれない。
そう思ってがむしゃらに働いた。
店舗の家賃と全員分の給与を必死になって用意した。
お店が再開となってもお客さんは全然戻らなかった。
しかしその分たくさんの時間ができた。
楽しかった。わくわくした。
しかしお店が暇になってしまったことにより大きな事件が発生した。
従業員から【店舗ミーティング】の実施を要求されたのだ。
これは僕の人生の中で最も辛い時間だった。
どういうことかというと、過去に退職した従業員に対する責任(不当性)や日々の業務内での僕の言動、矛盾などを徹底的に指摘、議論し、店舗運営の改善を目的とするミーティングだった。
企画した従業員たちの準備により一般客、僕の元カノ、社員・従業員、中途新入社員が出席した。
この店は誰かの希望であるべきで、こんなにも多くの人を混乱させてまでやることじゃない。このミーティングの話が出た時から僕は自分が経営者に向いていないということを痛感し、このタイミングで辞任するつもりでいた。
しかし企画者たちも辞任までは望んでいなかったようなので、すべてのことを認め、すべてのことにお詫び申し上げるということで自分の辞任を取り下げた。彼女たちの望みはあくまでも【よりよい店舗運営実現のためのミーティング】だった。
僕は辞任はしなかったが、その日から新宿本店を離れ、今に至る。
企画側は今となっては誰一人残っていないが、きっとあのコロナの混乱、不安、持て余す時間の中で悩み苦しみ結果として、アホみたいにウキウキしている僕に矛先が向いたのだと思う。僕の中に恨みや嫌悪といった感情は全然ない。
従業員やお客さんは僕にとっての子供ではないが、特別に大切な存在だ。皆の為になるのであれば僕は気が済むまで悪者になってもいい。このスタンスは今でも変わっていない。
僕はこの経験から、自分の考えや行動を人にわかりやすく、諦めず、正しく伝えることの大切さを知った。そして人は間違える時もある。自分も間違える。そのときは自分の間違いを決して否定せず、受け入れ、明日に向かって生きなければいけないということを改めて学んだ。
そもそも、間違えない人間などいないのだ。
僕は誰かの間違いや矛盾なんか全然OKだ。あの日に僕の言葉に耳を傾けてくれた全ての人と約束したことだ。
(この日のミーティングに参加してくれた新入社員2名は今では立派になり、それぞれ店舗を一つずつ管理している。)
そして4年目を迎える。
【この年にあった嬉しかったこと】
多くのお客さんからのたくさんのお手紙をいただいたこと。
ポムダムールは決して諦めない企業です。
それは諦めないことが誰かの希望になると信じているからです。
今までやってきたことがちゃんと届いていたことがわかり、とっても幸せだった。
本当は僕たちがお客さんを応援する側なのに、返しきれない応援をいただきました。
♦4年目、2021年(開業8年目)
初の赤字決算だが楽しい日々を取り戻した。
この年はとにかく通販の期待に応え続けた。
「すぐ売り切れる」なんて絶対に言わせない!在庫が1日以上残っている状態まで頑張った。
新宿店、大阪店も売上はぜんぜん戻らなかったが、自分達のペースでりんご飴の喜びを作り続けた。
イベントにも積極的に参加した。
そうだ!これだ!りんご飴の本当の魅力を届ける!
従業員や人間関係にも重大な問題はない。
しかし外側の問題が無視できないくらいに大きく膨らみ始めたのがこの年だった。
ポムダムールに似たようなお店が全国的にめっちゃ増殖した。
「新店オープンおめでとうございます!」などといった勘違い祝辞まで舞い込んできた。お客さんは各地に流れ、イベントに出店しては「最近流行ってるよね」などと、こっちが真似っこのように言われることも多くなった。
はあ…。一難去ってまた一難…。なんなんだ僕の人生は…。
内側からも外側からも精神的にやられる日々。なんなんだ、本当に…。
僕は特許を申請していたが結果はまだ出ていなかった。
ふつう、審査が終わるまで4年くらいかかる。
このことについては後日改めてまとめようと思っているんだけど、僕は開業してから今まで「特許を取らないのか」とすごくたくさん言われてきた。
りんご飴は昔からあるけど、せめてポムダムールのパウダー加工だけは取っておけ!と何度も言われた。親戚にも言われた。けど開業当初は特許を取ろうと思わなかった。
なぜかというと、僕の目的は利益を独占することではなく、スイーツとしてのりんご飴を世に広めることだったからだ。だから権利の独占には興味がなかった。あと費用がめっちゃかかる。
同じようなりんご飴をお店として作りたい人が出てきたらきっとそれはうちのファンだし、お互いの関係性を築きながら楽しくやっていけると信じていた。
性善説が過ぎたのだ。
僕は怖かった。この業界は味よりも認知度の方が美味しさでは勝ってしまう。催事会場などで味と認知度が比例していない商材はたくさんみてきた。
こうやって僕たちも忘れられていくのか。悪貨は良貨を駆逐する。本当に怖かった。今でも怖い。この気持ちは、説明してもわからないだろう。
「美味しいから大丈夫」はなんの根拠もないのだ。
けどそのことを除いては楽しい店舗運営を再び作り上げることができた。
400万円の赤字を出したが、絶対に大丈夫だと確信していた。
だって自分が楽しめていたから。僕が楽しんでいれば、だいたい大丈夫。
【この年にあった嬉しかったこと】
最初は混乱していた会社代表のやり方がだんだんとわかってきたこと。
嫌なタイプの社長にはなりたくない…嫌なタイプだけは嫌だ…とスリザリンを拒否する彼のように思ってきたが、この頃から自分流の代表像を掴んできたと思う。
根っこから素直で良くて、できないことはできなくて良くて、あんまり一人で背負わないで良くて、放棄だけはしない、というようなバランスを掴めてきたのはとっても嬉しかった。
30代半ばの男性は勘違いを起こしやすいと思う。道を踏み外しやすい。調子に乗りやすい。近道探すような人生の効率化なんか40代の楽しみに取っておいて、今は着実に一歩一歩踏み締めることを守ろうと誓った年だった。
もちろんそれに気づくためにはいろんな人の人生観を借りてきた。そこに感謝は忘れてはいけない。
♦5年目、2022年(開業9年目)
まあなんとかなるかぁと開き直った5年目
5年目、つまり昨日までを振り返るわけだが、総じて自分の新たな部分が成長した一年だったと思う。
この一年で10人いなかった従業員が30人近くまで増え、二つも新しいお店をオープンさせてしまった。(ちなみに過激な店舗展開は主義ではない)
もちろん苦しみの総数はこれまでとあまり変わってない。
「◯すことができないなら、せめて死んでやる」って本気で思うくらい悔しい思いもしているし、人との超ド級の別れも経験した。しかし軽傷で済んでいるのだ。今までの一歩一歩が確実に僕をここまで運んだ。
この年、僕の開発(りんご飴にパウダーをコーティングしたやつ)が特許庁に認められて正式に特許権を取得したことも大きな精神安定剤となっている。
この日を境に寝起きの吐き気が治ったのだから効果は絶大だ。
先日、フルーツ大福の弁才天の社長である大野さんとお話する機会があった。
なんと同い年だった。
大野さんに「これからの目標とかあるの?」って聞かれたんだけど僕は相変わらず「ない!」と答えた。その時その時を正面から向き合っていれば、自然とふさわしい未来に辿り着けると信じているからだ。これは何も考えてないということではない。エンジンは回ってるがギアがニュートラルに入ってるだけだ。
大野さんは「なるほどなるほど〜!」と笑ってくれた。
いやいや、大野さん、なかなかのお人だ…。
【この年にあった嬉しかったこと】
新卒の採用や特許権の取得、パルコとのお取り組みなどいろいろ嬉しいことがあった一年だったが、一番の喜びは結婚したことだ。
今までは辛い苦しい闇雲な数年だった。それらは無くなることはなく形や性質を変えては襲ってくる。きっとこれからも辛く苦しいりんご飴人生だろう。
そんなポムダムールの現状と結婚生活を同時進行で歩むのはとても困難だが、これ以上に嬉しいことは無いだろう。
さて、
5年間を振り返って、今日から6年目です。
自己満ではありましたがこうやって振り返ってみるといろんなことが繋がって今があるんだということを再認識することができた。
それにしても激乱の30代である。
明日からもまた新しい朝が
あ、
僕は今、明日も同じ太陽が昇ることをポジティブに受け入れているようだ。
またひとつ自分のことを認められるかもしれない。
決して諦めない。
自分に諦めたら、終わりだ。