物のない部屋に憧れる

憧れている。物のない部屋に。

いい感じの木材の家具の置かれた部屋、間接照明に照らされる部屋、観葉植物が健やかに育つ部屋。

求めているのはこういう感じかもしれない、と唐突にそれに憧れて、少しずつ部屋から物を減らしている。

あるものは実家に、あるものはクローゼットに、あるものはゴミ箱に。

物を減らしてみて気付く。意外とそれで事足りると。あんなに沢山物がある必要がないと。

たくさんのものをしまった。使ってない化粧品、着てないTシャツ、飾る場所も少なくなってきたフィギュア、指の数より色の多いマニュキュア、私服、置く物のなくなったトレーと棚も。とにかくたくさん、たくさんのものを。

そして少しのものを捨てた。もう使わないコスメ、クタクタになったタオル、靴下、Yシャツ。

物を捨てるのが、昔から苦手だった。もう使うことはないと分かっていても、まだ使える物を捨てるのは勿体無いと思ってしまう。よく言えば物持ちが良いが、新しい物を買い足し続ければ部屋はもので溢れる。

ありがとうと言って使えるものと別れる。後ろ髪を引かれるが、別れた後は、やっとあの物を気にしなくなって良くなったと心が軽くなる。

もしかしたら、使わない物というのは私の心の一部すら占めてしまうのかもしれない。使わない物を発掘するたびに、使わなきゃと罪悪感に駆られる。どうせもう使わないなら、手放してしまうことでじわじわと続くこの苦しみから解放された方が良いのかもしれない。メルカリに出す手間さえ惜しいような物なのだ。物には悪いが、なんの手間もなく別れられる廃棄が1番楽だ。

そしてようやく物の減った部屋に、少しだけ新しい物を追加した。額だ。

そして私は、大好きなイラストレーターの先生のポストカードと、大好きなペルソナ5のキャンバスボードを額に入れて部屋に飾った。

瞬間、部屋が輝いて見えた。

比喩じゃない。本当に輝いて見えたのだ。

それまでも、ポストカードはホワイトボードに沢山飾っていたし、ペルソナ5のフィギュアも山ほど飾ってあった。それだって、十分大好きを集めた物だった。

けれど、部屋をシンプルにするにあたって、ホワイトボードにマスキングテープで貼られたポストカードはボードごと閉まって、数万かけて収集したフィギュアも箱に戻した。

その後、よく吟味して選んだお気に入りのポストカード1枚、フィギュア1体、それから仕舞い込んでいたキャンパスボードを部屋に飾った。額に入れて、1番いい場所に置いて。

そうしたら、今までになく、心踊る部屋になったのだ。

無というのは、最高のインテリアなんだと思った。

もちろん、本当にシンプルでかっこいい部屋にこんなものはいらない。特にフィギュアやアニメキャラクターのキャンパスボードなんて、景観を損ねるだけだ。

けれど、全ての大好きを仕舞い込んで、隙一つ見せない丁寧な生活は、望んでいるものではなかった。

モデルルームのように片付いて、一切無駄な物のないシンプルルームは、お洒落でかっこいいけれど、私の住みたい部屋ではなかぅた。

そうじゃなくて、私の住みたい部屋は、私の大好きな物をきちんと輝かせてくれる、私の心がときめく部屋だった。キャラクターの居ない冷たい部屋じゃなくて、イラストのかわいさを、キャラクターのかっこよさを損なわない部屋こそ、住みたい部屋だった。

キャラクターもイラストも、情報が多い。所狭しと並べたら、情報がぶつかり合って、そのうち無化され、背景に退けられてしまう。大好きな顔でも、同じ顔がいくつも並んでいたら、飽きも数倍速でやってくる。

だから、1番今見ていたい一つだけを選んで、後はしまった。

空白はもう存在を際立てる。私の大好きなものは、余白によってより魅力を増す。

私は今の部屋の余白が好きだし、もっと物を減らして、余白が欲しいと思う。

だけどそれは、単純な廃棄や収納ではない。

好きな物の存在を際立たせるための、お掃除なのである。



昔流行した、こんまりお掃除本って、もしかして似たようなことが書いてあるのか…?



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