赤ちゃんは元気

・昨日、久々に病院に行った。

・私にとって、病院はそれなりに縁遠い場所だ。歯医者以外はここ数年行っていないのではないだろうか。私は健康優良児なのだ。

・しかし、そんな私もたまには病院に行く羽目になる。昨日は、3週間続いた腰痛への不安についに耐えきれなくなって、ついに整形外科に赴いた。午後3時に病院に行ったら,老老老若男女がロビーにひしめいていた。

・待合室で診察を待っている時、診察室から赤ちゃんの声が聞こえた。お医者さんの何か指示する声と、ごめんねと謝る看護師の声、そして泣き喚く赤ちゃん。

・私は赤ちゃんの声を聞くと、なぜか笑ってしまう性質があり、その時も威勢良く泣く赤ちゃんに「ベイビー、やってんな!」と心の中で静かに掛け声をかけた。赤ちゃんは全く泣き止む気配がない。看護師はごめんねぇと謝罪を続ける。医者の指示も続く。一体あのカーテンの向こうでどんな治療をされているのだろう。泣き喚き続ける赤ちゃんに僅かながら同情を覚えた。それと同時に、痛みに対してこうも素直に泣き続けることができる赤ちゃんが羨ましく思えた。

・歳をとるごとに、涙もろくなってきている自覚はある。しかし、痛みや不快さに対してあれだけ盛大に泣いたのはいつが最後だろう。この歳になると、「痛くて泣く」なんてことは余程のことがない限りない。そして幸いにも私にはその「余程のこと」はいまのところ起こっていない。泣きたいほどいたくとも、泣くことはない。

・しかし、カーテンの向こうの赤ちゃんはいま、全身全霊で泣いている。小さな体のどこからそんな声が出るんだ、というほどの大音量で泣いている。その声を聞いていると、今度は段々と感心してきてた。よくこれだけ長い時間、全身全霊で泣けるものだな、と。

・大人になってから涙もろくなってものの、せいぜい数分、はらりはらりと涙がこぼれればいい方で、涙腺が熱くなっても1、2滴しか涙が流れないことなんてザラにある。ましてや、声を上げて泣くなんてもう数年来していない。記憶にあるのは、前の彼氏に振られて泣いた時だったか。本当に悲しくて泣いていた。だんだんと息苦しくなって顔がどんどん熱くなっていったのを覚えている。全身で悲しみを表現しているようで、段々と辛さを忘れるために泣いている自分に酔っていくのを感じた。そのくらい、大声で泣き喚くと言うのは疲れるものなのだ。泣き喚いたら疲れて眠ってしまうほど、体力を消費するものなのだ。
だから大人は滅多に大泣きしないのかもしれない。泣き喚くのはものすごく体力を消費するから。

・しかし、カーテンの向こうの赤ちゃんは一向に泣き止む気配がない。それどころか、泣き声は勢いを増している。生命の神秘を感じずにはいられなかった。あの小さな生命は、まさにエネルギーの塊なのだと思わずにはいられなかった。

・赤ちゃんはすごい。私にはもう、あんなに泣き喚くことはきっとできない。もうそんな体力は、きっと残っていない。

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