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波動を高めることは最高の意味を成す。

みなさま、お元気ですか?☺

今日も変わらず、元気が溢れていますように。

“元気”

これは、元の気⇒ 大(宇宙、神、本質)の(エネルギー)
ということで、

私たちの元々の気が “身も心も健やかで、前向きな気が溢れている状態”
そのものだということを示しています。

そしてこの元から溢れるエネルギーが消えてしまうとき。

何かをきっかけに、気落ちしたり不安になって
息苦しさを感じるというのは、

本来の自分とは異質であるエネルギー(苦しい、辛いなどの)が
発生していて、そこは自分の居場所では無いから、早く戻っておいでよ。
というお知らせ。

このままでいると自分の世界が異質の気で溢れ、
元のエネルギーと離れてしまうよ。という様な、
ちょっとした警告反応です。

この世界は私たちの頭の知識などでは追い付かないほど
大変良く(完璧に)出来ているので、

異質の感情が動き始めたときには、
“本来のエネルギーに全てを任せるのでよろしく。”とすれば、
直ぐに助け舟は出て、喜びと調和(元の気)に戻すことができます。

ですが私たちのほとんどは、自分の作り出す苦しみなどの幻想の中に
『本来の姿とかけ離れた世界をとことん経験してみる。』
という時期にあったので、

創造主としての力の偉大さを忘れることで
思考という狭い空間に身を置き、

(こころの片隅ではちゃんと気づいていながらも)
本質の自分の存在と、意神(思)を完全に思い出すことは出来ませんでした。

二元性である地球を経験するということは、

その両方がもつ力をそれぞれ知るということが、
そのあとの飛躍に役立ちます。

猛スピードを楽しく感じる内はそれで良いですが、
それを楽しめなくなってきたときには、

敢えて転んで怪我をしたり、進めない状況を作ったりすることで
スピードを弱めるとか、止まるという選択が加わります。

両方のエネルギーを良く知ることで初めて、
自分の意思でどちらか望む方を選べるようになるからです。

喜びと調和は元からある自身のエネルギーなので、
地球に来れば、自身とは相反する恐れと分離のエネルギーを
知らなくてはなりません。

そして本質の存在を思い出すときは、満を持して、
今、このタイミングで私たちのところへとやってきました。
(自分の意思でどちらか望む方を選べる時代のはじまり)

こんな風に思うと、時って、やっぱり存在していないんだな
ってことがほんとによく、分かりますね。

時=無駄にできない。って考えが頭にはあるけれど、
それは思考の中だけの限定と制限のベースからだけのもの。

本来の私たちが無限で自由な存在だからこそ
限定のベースを体験してみたり、分かった上で迷ったり悩んだり。
時にしても、空間にしても、再利用できるものばかりで、

実際、失うものってここにはひとつもないから、
出来ていることなんですね。

再利用なんていうと、不思議に思うかもしれないですが、

わたしたちはひとり一人身体を持ち、
今は、地球で人間としての人生を送っているものの、

ほんとうの意味の本番舞台は、
人生という旅を終えた後の方だということ。

私たちがここにいるのは、宇宙が広がるための一歩なので
霊的進歩を促す活動の場所として設けられているのが
地球という設備という様なもので、

自分の人生が終わったあとに残る学びの為の
今この瞬間瞬間なのであれば、

この世界での地位や容姿なども初めからそんなに
大切なことではなく、

自分がたましい(こころに)で何を感じて何を残すのか。

ここだけが、この世界を離れた後の自分にプラスされ、
その先を決めるメーターともなる
わけです。

さあ、このことを知ってどうするか?

自身の波動を高める(感謝、調和)ことは、
この世界にいる最高の意味を成すこと。
ということと、
改めて向き合う機会となればいいなあと思っています。

最後に、もう一度大切なこと、書いておきます。

この世界は、思考の自分(本来では夢見る力)と
本質の自分(意識、無限で完璧な力)が手を繋ぐことで、
自分の観たい世界を自由に創りだせるという空間です。

つまりこれは、私たちには神さまと同じ力が
それぞれに託されているということ。

思考は、自分の想像するそうなって欲しい未来や願いをただ信じて、
後は、本質の自分に全部丸投げしていれば、

最高の形と流れでそれそのままが実現になる。
というシンプルな仕組みです。

神、創造主の願いは絶対です。だからこそ、宇宙(こころ)に放たれると
必ずかなうのです。

ゆえに精神性の低いままこの力が有効になっても、地球という設備の意味はあまりなく、精神性が高くなることと比例してこの力が有効になっていくことは流れとしても自然なことです。

この世界での出来たか出来ないかは、悩むにも足らないことで、
私たちは、自分たちが感じて来た想像を遥かに超えたところに、
自分の存在意義を持っています。

幸せになっていいのか、喜びと共にあっていいのか。
はい、もちろんです!

これまでどんな人生を歩んできたとしても、関係ありません。

そんな質問はするまでもなく、
それこそが私たちの元からの居場所であり、輝きです。🌟

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