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地球という星のほんものの価値 2

地球ってのは、出来ないことだらけ、時に困難なことだらけ、
もう つねりたくなるほど意地悪なときもあるのですが..

そんな地球の暮らしの中で、

傍からみたらちょっとおかしなこと。
なんでだか、周りは避けて通ろうとするみち。
だけど、自分がどうしてもそうしてみたいと思ってる。

そんな挑戦を、やりたい、やってみようって願えることは、
めちゃくちゃかっこいいことです。

これがすっと出来ないから、もしくはしたくても
出来ないって頭では決めつけるから、私たちはもがくし、苦しみます。

私たちが地球にいるのは、
真の目的へと合流するために、幾つもの思い込みをそぎ落とし、
もう一つと同じもののない自分らしさを生きていくことだったりするので、

何度だってやり直すのも、シンプルに自分の笑顔を見たいだけで、

こころの底から望んでいる未来を表現しようと、
自分を幸せ(ありのままの姿)に戻したい一心で、

地球人として、今という瞬間をもがいています。

もがいているというと聞こえは悪いようですが、
実際にはこの流れ無しに新しい創造も生まれません。

ある側面からみる地球には、
そのための時と空間というものがあるし、

究極的には、もがくことと、ここに居る意味を思い出すこととが
ひとつに繋がっているのです。
(そのこともあって、忍耐の星なんて私は思ってます。)

だからこの世界は決して意地悪なのではなく、

完成された歓びでしかない世界が、既にあることを前提に、
そこまでの過程を遡っているのが今、この瞬間なんだ。ということです。

ほんとの歓びというのは、やってみたいことが出来た時の
解放感とか、新しい一歩が進めた!ってことで浮かび上がる
自分への喝采の感情そのものなので、

これが私たちの元々のエネルギーで、
濁りなく、軽く、とても美しい輝きです。

全てはそこへ遡っていくだけの今なので、

自分を大切にしていないなんてのは思考が作った作り話で、

結局は誰かの笑顔のためでなく、
自分の笑顔を見る為だけに今日も、生きていて、 

ほんとうは、誰もがずっと自分のことを大切にしています。

私たちは自分自身のことを他者を通して知ることしかできないので、
周りと比べることで自分の歩幅を見てしまいがちですが、

周りの存在とは、比べる為にあるのではなく、
自分のこころの内や様子を、感じたり、理解する為だけにあるもの。

例えばこの日記を読んだとして、

自分にはまだその気づきはない。ことが分かるのではなく、

その気づきが自分の中にあるからこの日記を読んでいる。
ということとなります。

なぜだかわかりますか。

周りの存在のすべては、幻だからです。

世界の真ん中に立つ自分が、どう思っているか。どう感じているか。
その表れだけが、周りの存在の正体となります。

だからね、もしも周りと比べたくなったり、
前に進もうとしているときに遮るような気持ちを感じてしまうなら、

そんなものは無視してしまっていいのです。

それでも自分だけの想いやこころを信じ続けていれば、
いつの間にかその周りの存在自体が、
選んだ道を応援してくれる人に入れ替わっていきます。

この世界では結局、自分のいいね。ひとつだけが、
私たちのずっと探してきているもので、

自分のいいねは、宇宙のいいねと同等ですので、

胸を張って、“だってそうしたいと思ったから。”
そう言えることが宇宙を味方に回したってこととなり、
世界が輝きだす秘密の扉の鍵となります。

なので、周りにいる百人ってひとの正解や反対よりも、

宇宙(こうしてみたいという意思)が、
がんばれって言ってくれていることを選ぶ方が、

これからの私たちには沿っています。

ライフワークにでも、趣味にでも、恋にでも、
幸せになることに対してでも、なんてことない瞬間も、
迷ったときは、これを思い浮かべてみてください。

何かに必死になることを楽しむためだけに私たちはここにいて、
躓いても諦めないで自分の笑顔を探すことが、
私たちの原動力(源のちから)。

源のちからは途中消え去ったり底ついたりはしません。
私たちが望むときに必ず力を差し出してくれて協力も惜しまないです。

だけど必要なときは、休憩は長くとっても大丈夫。

そのことを気づくまでに時間はかかっても、
掛かるだけの待ち甲斐があるもので、

その時間すらもが貴重な思い出に変わる時が
いつかは来てしまうんだと思うと、

やっぱり、今日の一日を、地球初めての滞在日みたいに
過ごしていようという気持ちとなります。🌟

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