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時間のもったいない使い方。

地球における時間の話を、詳しく書いてみたいなあ。と思っていたので、
今日はそんな日記を綴ってみます。

前回の記事で、

地球に時というものがあるのは、
この惑星の完成された歓びでしかない世界が既にあることを前提に、
全てはそこへ遡っていくだけの今。

ということを書きました。

このことが伝えている事は、

未来が今を通って過去へと流れていく。
これが実際の私たちの時の流れだということ。

つまり、過去となった時間は、
これからの未来との直接な繋がりはなく、

今と、今ここで見たいと感じる未来を意図することが、
私たちにとっての自然な流れとなるわけです。

これまでの考え方は、過去から未来への流れが一般で、
未来は今の時点ではまだ存在していない。という理解が
ほとんどだったので、、こんがらがってしまいますが、💦

まず、私たちの思考が繰り広げる、こうしたら良かった..
あれをしとけばよかった。を含めて、

無駄という観念が無いのが、この宇宙です。
(余すことなく、それでひとつだからです。)

なので、とりかえせない事というのも、
この世界には既に、そして最初から存在していません。

とりかえす目的で時は過去へと流れている訳でもありませんし、
上にも書いたように本来の時の流れは、
未来から過去へと移りゆくものだからです。

つまりこれは、常に“今”の瞬間しか存在していない。
という理解でもあるのですが、

同じくして、未来が無い今という時点では、
過去もまだ生まれない
ということでもあります。

例えばある人が、仕事を変えたことで働き方も変わり、時間が増え、
お給料も増え、生活がしやすくなったとします。

すると、目の前の出来事が変わった過去からの流れで
今の楽になった自分も居ると喜んで理解しますが、

実際のところは、仕事を変える前に、
そうなりたい未来の自分をまず自分が創り出し、

それが今、未来からこちらにやってきたことで
仕事も変わったし、楽な暮らしの出来る自分も存在しています。

今という空間では、既に表現されたものが広がっていて
そこでは新しい物を作れないので、

未来というまだ何もない広大な空間にこれからの可能性を、
表現しておいて、出来上がった物を遡る形で、今という地点で認識します。

これが、今日、明日、来年という要素の本質的な美しさで、
時と空間というものは、地球にとっての無くてはならないアイテムです。

ちなみに、過去という空間は、既に表現されたものが
主体に一旦認識されているものなので、言うならば、
一度、ひかり(陽)が通過したものの蓄積場所です。

これはこれで美しい景色でもあるのですが、
実は、あってないようなもの。としてカウントすることになります。

あの時の感動をもう一度再現したいという形で
取り込もうとするよりも、違った感動を新たに未来に創りだすほうが、
更に美しい景色となるからです。

次に、未来から来た時が過去へと流れていくことを
年齢のことで見てみると、

今居る自分は、過去から作られたもの(若かった→年齢を重ねた。)
ではなく、
未来で創られて、今というここのスタート地に居る。となります。

35歳は、34歳からの橋渡しではなく、
35歳として始まりの地点が、今初めて、ここにあります。

言い方は変ですが、毎日、もしくは毎年が、
生まれたての誕生日となる感覚です。

とても些細な違いの様に見えますが、

過去からの流れで、今(今日)が創られるのではなく、

未来という何もない空間と繋がった今ここが
常に私たちのキャンパスで
、そこに表現された自分を遡ることで
過去となる足跡もできていることを知ると、

目の前の視界を遮るものがどこにも無いどころか、
これまでの自分の残した足跡の重要性はほぼ薄まりますし、

今ここで何を見て生きたいか?という心の指南が、
世界を左右することをしっかり理解できるので、
とても有意義なことです。

事実というのは、証拠いらずなもので、
頭の理解というよりも、ただ感覚的につかんでおけば十分です。

過去から未来。という古い認識の当たり前は、
これからはほおっておいても、本来のながれへと戻っていくので、

流れの法則とは反対方向にみていたこれまでより、
私たちの生き方も気軽になっていくということだけ分かっていたら
良いです。

地球における時間というのは、もったいない使い方の出来る場所。
なぜなら、時間というのは最初から存在していないから。

ただ物語を順を追って辿っていく為についている目安みたいなものだから、
肉体では限定という美しさを楽しみ、内側には、永遠を生きましょう。🌟

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