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時代はかわる(さよなら!苦悩編)

3月は浄化の月!ってことで、こじつけですが、
苦しみとはなんぞや。というとこにズームしてみます。(今回長いです。)

私たちは出来事を通して、楽しい、悲しい、くやしい..など
いろんな味🍭の感情を体感しています。

この普段行き交う感情っていうのは、

目の前に起きた出来事と関連してぱっと浮かんでも、
ある程度すればサッと流れていくものなので、一時的な物。

一方、一時的な痛みであるはずのものが、
なんとなく日常的に住み着いてしまっているもの。

心が折れるようなことが微かにずーっと続いてたり
理由の分からない空虚みたいなものがあったり。

わたしはこれを、苦しみの素。という感じで思っているのですが、

一時的な感情と明らかに違うのは、

ひとつ問題が去ると、また新しい問題がでる。みたいな感じで、

何らかの苦しみを生み出す状況を
現象の中で常にキープしていることです。

この袋をこころの奥深くに抱えていることで、
現象は苦しみ(恐れ)由来のベースとなって
世界にあらわれている状態が続きますが、

これを持っているからといって全現象がそうなる。ってことでも無く、

楽しいことも、幸せなことも同時にあるので、
大半は、自分が苦しみを生み出す影そのものをもっていることには
なかなか気づきません。

かく言う私も、生まれた時から苦しみの連打を纏っていたので、
現象の中で苦しみの材料となる出来事を、
『当たり前のこと。』として見ていて、

最近までひと時も手離すことがありませんでした。

前向きな性格を理由に、自分は苦しみとは全く無関係だよね。
と本気で思っていた位で、

私だけじゃなく、周りもそうだから。
苦しいのがあるのが人生だから。
と当たり前の前提に見ているので、

もはや  “止めたい。止めよう。” 以前の問題です。

パワハラって言葉はよく聞きますが、
一番身近の自分が自分にそうさせていたとは気づきもせず、
苦しんでいる自分に極限まで我慢させてきました。。

それである時、底に足が着くような感覚まで
エネルギーが落ちていった中で、

同じ波動と重なったそのほんの一瞬だけ、

“ものすごく重くて冷たい、固く真っ暗なもの”とチラッと眼が合いました。

新しい時代となった最近では、感情が極限まで下がる上がるってことが
長くは続かない為、花火のような。ある意味、奇跡の対面です。

あまりにも異質なエネルギーでとても驚いたので、
これは手放したい。と改めて意図してみると

最終段階の解体に入ったことを遠目に感じました。

これは、それ以前から水面下で始まっていた解体が、
最終段階でその姿を一瞬あらわしたという理解で、

その時がわたしにとっての
苦しみを終えるタイミングだったということと、

それを認めれるだけの視界が開けて手離す準備が整ったのが、
その時だった。とも言えます。

さて。ここからは解体の準備が整った方、必要な何処かへ向けた、
本質からのメッセージとなります。


苦しみには、本当の理由はありません。

ただそれ単品で漂っている実在のない記憶の重なりそのものが
『苦しみ』で、

これは現象の扉へと通じています。

言い方は悪いのですが、ただ苦しむ。ということが大前提にあるので、
理由は本当のところ何でも良くて、

起きている出来事がどうこうではなく、

“苦しみ”というエネルギーを生み出す理由となる幻を
創ることで
記憶は続いていきます。

加えて、永久に続く出来事はないので、
なんらかの形でそれが終わりを迎えると、

また別の理由へと間髪空けずにループしていくのが、
苦しみの特徴です。

苦しみの素とは、記憶という実体の無い無意識を司るもので、

幸福そうな人や波動の高い人、優しい人には無くて、
意地悪や、ネガティブな人にある。ということでも無いので、

自分がそんなものを抱えていることに
気づいていないってことがほとんどで、

自分が自分に鎖や重荷を与え続けているなんて
到底信じられないことなのですが、

これは、ループが終わった時や終わる前の目印として、
“そうだった。”と気づけることであって
最中にある者はみることが出来ません。


・こころの底から心地良い人生と思えるか。

・悲しみ、痛み、ということに ただ慣れてしまっているのではないか。

・苦しみを傍に持つことが、マストアイテムとなってはいないか。

こころの中へ問いを残してみてください。

これを普通のこと。と感じているとしたら、

全く普通ではありません。
とても不自然なことです。

新しい時代では、(もし本当にそうだとしても)
周りもそうだから。みんなも同じだから というのは、
自分もそれで良い理由にはなりません。

私たちは 喜び。をベースとした世界でも生きられるのです。

今、この日記を読んだことで終止符も打てる。ってことを
知りました。もしかしたらそうゆう袋を抱えているのかもと
可能性を知りました。

自分自身が、この負の連鎖を断ち切ろうとすることで、必ず、終ります。

ここの日記はかなりマイナーで分かりずらい事も多いと思うのですが
それでもついてきて来てくれるのはすごいこと(ありがたいです。)なので・・

ここを読んでくれた方にはもれなく、苦しみベースの
本格的破壊が起こるんだと私は、思ってます。

そうでなかったら、触れることも無いからです。

解体がはじまると、

もう苦しむことはないんだ。という発見が、
すべてを変える力を持たせてくれます。

誰にとってもの苦しみも、
記憶という人智には理解の出来ない複雑な繋がりが
見せていることに変わりないので、

過去を後悔したり自分を責めたりする必要も全くありません。

現象の舵をとっていると勘違いしていた自我は
自分が舵をとっていなかったと知るばかりか、

鎖や重りを自分につけていることを当たり前として暮らしていたところに、
突然それが無くなったら初めは何をするべきかわかりません。

なので最初は、自由になった喜びというより、
呆然とするという表現が合っているかもです。

長らく苦しみ(不自然、恐れ)ベースで現実を映し出していたところから、
喜び(自然体、愛)ベースへと変わっていくというのは、
根本的な物を変えてしまうとても大きな変化なので、
段階的に馴染んでいきます。

氷山がガラガラと溶けだして春を迎えるように・・
全体意識がほんとうに動き、変わってきていることを感じる日々です。

この流れ、最高です。🌟

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