とりとめもなく・13

 『音埜淳の凄まじくボンヤリした人生』というタイトルはジュノ・ディアス『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』から引いた。オタク少年・オスカーとその家族の、”呪い”にまつわる小説で、ギラついた太陽と汗と血の匂いがたちこめる世界に生きる、アニメとゲームとSF小説好きの少年の凄まじい人生の物語だ。家族に降りかかっている呪いは”フク”と呼ばれ、どうやら一筋縄では解けないものらしい。
 年令を重ねていくと家族との関わり方が変化していく。その変化を表現したかった。どうしても演劇でないとむずかしいとも思った。それで、前述した通り、吉増さん、滝さん、猪瀬くんに参加してもらい久しぶりにほろびてをやった。
 吉増さん演じる音埜淳(おとの・じゅん)は父で、猪瀬くん演じる音埜大介がその息子。滝さん演じる丹波准(たんば・じゅん)は音埜淳の弟、ぼくが演じる楠木塁(くすのき・るい)は音埜淳の義理の弟、という配役。丹波准は婿養子に入って名字が変わっている。
 滝さんとは当時すでに20年近くの知り合いだったけど、ぼくの作品に出演してもらうのは初めてだった。初めてで言えば吉増さんも猪瀬くんもそうだったけど、ずっと近い場所で活動をしていると感じていたはえぎわの滝さんがいることの安心感は、他の2人の安心感とはまた違うものだった。
 稽古中、滝さんは段取りやセリフを間違えるとものすごくあやまるかものすごく笑う。どっちにしても稽古の空気がちょっと軽くなる。襖問題で、演助の野崎さんから開閉のミスを指摘されると、吉増さんは身体をのけぞらせて膝から崩れ落ち、猪瀬くんはかくんと頭を垂れる。滝さんは「ぬふふふふふ〜!」と笑った。
 作中、冬から始まる季節は3回変わるのだけど、それは衣装で表現した。忙しいのが滝さんだった。コート、セーター、マフラーで登場したあとに一度はけて、アロハと短パンで出てくるのだ。早替え練習も兼ねるために衣装を着て稽古をしたとき、冬服ではけた滝さんがアロハと下着のパンツ姿で出てきたことがあった。稽古を止めてくれてもよかったのに、ちゃんとタイミングには出てくる。律儀なのだ。その時も「んふふふふふふ〜!」と笑っていた。言葉はいらない。見ればわかる。つまり間に合わなかったのだ。ぼくたちも笑った。対処法は、滝さんが急ぐ、だった。もはや対処法ではない。でもそれ以降間に合わなかったことはなかった。
 本番中、ぼくが待機する場所は滝さんがその早替えをするスペースだった。毎回必死に、息を荒げながらセーターやズボンを脱ぎ捨て、アロハを着て、短パンに取り掛かる。ピッチピチの短パンで悪戦苦闘しながら、ハアハア言いながら足を通していく。がんばれ……。滝さんが脱ぎ捨てた衣装を回収しながらぼくも肩に力が入った。
 公演終了後、滝さんが苦戦していた短パンを久しぶりに履いてみた。ぼくの私物だったのだ。実際に履いてみてわかった。きつい。これは大変だよ。滝さんはすごい。

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