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あの日から… ~3.11のこと~

 昨日は、あの東日本大震災から12年が経ちましたね…
 私は、その日は下請け業者さんの社長の奥様と書類のことで電話をしていました。
 「何か揺れてない?」と社長夫人。
 「揺れてますかぁ~? 揺れてる!」とそのまま受話器を放置し、事務所にいた人みんなで外に出たのを覚えています。

 ポメ太郎12歳、ちょうど卒業式の練習の時でした。
 ポメ子は7歳、授業中で泣き出す男の子もいたそうです。
 子供たちは、それぞれ落ち着いて先生の指示を待ったそうです。

 揺れが落ち着き、自宅に電話。
 義母が「孫達はだいじょうぶかしら?」とちょっと心配そうに言っていたので、学校であれば先生が一緒だから大丈夫となだめ、とにかく子供たちが帰ってきたらお願いしますとだけ言ったのを覚えている。
 子供たちは、学校にいれば先生たちの指示に従い下校もできるけど、一番の心配は関東へ単身赴任中だったポメ男のことだった。

 その日、ポメ男は電車に乗っているときに被災した。
 電車も動かない、タクシーもない、バスもない… 帰宅難民になりかけた。
 ちょうど、転勤で一度私とポメ太郎と住んでいるところから近いところだったので、そこそこ地理があり、何とか少しでも歩いて社宅として借りているアパートへ戻ろうと歩いたらしい…

 関東は、原発事故の影響なのかほとんどのお店が停電してしまい、真っ暗のなか、重点もあまりない携帯電話を握りしめてとにかく歩いたそうだ。
 ちょうど、明かりがついていたのが山田うどんだった。
 そこで、何とか空腹を満たしてまた歩いたそうだ。
 しかし、ポメ男はその半年前に骨折をしてやっと完治したばかりの状態だった。
 そんな中、ちょうど東京外環自動車道の料金所で働く人が途中までならと乗せてくれたらしい。
 そこからまた数時間歩いて何とかアパートに着いたとのこと。

 携帯電話はなかなかつながらない、状況もわからない、余震はある…

 テレビ見る、現地はとてもひどいものだった。(言い方悪くてすみません)

 原発事故で家に戻ることができなくなった人…

 津波で家や家族を失った人…

 ガソリンもなかなか手に入らない、物資は届かない、みんなつらい思いをした。

 その中で、一番つらかったのは愛する家族を失った方たちが一番つらかったのではないだろうか?

 中には、交際中でこれから結婚するっていう人、これからプロポーズするのに指輪を用意していた人、交際相手とデートしているときに被災した人もいらっしゃるかもしれない。

 ポメヨが言いたいのは、天災はいつどのように起きるかわからない。

 だからね、好きな人や愛する人がいたらその人を大切にして欲しい…

 どんな形であれ、その人を愛するという気持ちに偽りがないのであれば、その人を大切にしてね…

 私はいつも思う「愛と命はお金で買えない」と…

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