真実に気付いた夜に

「検査の結果、癌だって。」
母が私にそう告げたのは、今から約8ヶ月前、去年の8月のことだった。
子どものように涙をぽろぽろと溢す母に、私は「大丈夫だよ、絶対治るから」と言って、あやすように抱きしめた。
「大丈夫」
自分で言いながら、なんて無責任な言葉なんだろうと思った。だけど、それしか言葉が出てこなかった。

その日の夜、母から告げられた病名をネットで調べた。調べれば調べるほど不安になり、このままじゃ眠れないと思い、一旦Safariを閉じて、音楽アプリを開いた。
気持ちを切り替えたい時は、音楽に頼るしかない。
お気に入りのプレイリストを開いて、シャッフルの文字をタップする。

「もうすぐこの映画も終わる‥」

約8年前、私がクリープハイプと出逢うきっかけとなった曲が流れた。

当時18歳、バイト先のレンタルDVDショップの店内BGMで、毎日のように「百八円の恋」が流れていた。
DVDを棚に戻しながら、気付いたらサビを歌えるようになっていて、気付いたら社割を使って「一つになれないなら、せめて二つだけでいよう」をレンタルしていて、気付いたら正規の値段で購入していた。
そして私の毎月の携帯代は、気付いたら基本料+440円となっていた。

18歳の私の毎日は、朝起きて大学とバイトに行って、休日は友達や彼氏と過ごすというありきたりなものだった。たまに大学をサボって1日中彼氏の家で過ごす日もあって、今思うとバカだなって思うけど、幸せな日々だった。
そりゃ当時は当時で悩みもあったけど、それは自分や大切な人が「健康でいること」「生きていること」が当たり前の上での悩みだった。

あの頃に戻りたい。
今まで当たり前だと思っていた日常の尊さに気付いて、ベッドの中で泣いた。
何も戻すものがない手元が寂しくて、強く握りしめたスマホから「痛い痛い」と聞こえた。

しばらくして、母の入院生活が始まった。コロナ禍で面会が出来ないので、母との繋がりは電話とLINEのみ。
電話口で治療がうまくいくか不安だと嘆く母に、私は「大丈夫だよ、絶対にうまくいくから」と、またお得意の無責任な言葉を伝えた。

だけど、順調にいけば2月に一旦終わると言われていた母の治療は、悲しいことに3月になっても終わっていなかった。

3月下旬のある日の夕方、「今日の夜、電話していい?」と母からLINEが届いた。
すぐにOKのスタンプを送るも、その後返事はなく、結局その日の夜に電話がかかってくることはなかった。
翌朝になって「ごめん、寝ちゃってた」と連絡が来るかと思ったけど、通知は昨日と同じまま。
不安な気持ちのまま出勤した。
そんな日に限って、一生懸命やったことが一瞬で無駄になったり、チクチク言葉を言われたりして、ただでさえ弱っている心がどんどん削られて薄くなっていく。
お願いだから、今日はもうこれ以上なにも起きないで、と願った定時10分前に電話でブチギレられて、帰る頃にはもう私の心はなくなっていた。

あー。どうしてうまくいかないんだろう。

最寄り駅から自宅まで帰る途中で、歩けなくなった。
昼間のありがたくもない出来事が延々とリピートされる。とりあえず家には帰りたいけど、足が動かない。
そんな時はアレしかない。鞄からスマホとイヤホン取り出した。

ブチギレ電話から耳栓をするように差し込んだイヤホンから流れてきたのは、
私が母にずっと伝えていた、あの言葉だった。
なんの根拠もない無責任な言葉。
だけど本当は、私自身がずっと誰かに言ってほしいと思っていた言葉だった。

この曲の中の「あたし」が私だとしたら、「あんた」は母だけど、
この曲の中の「あんた」が私だとしたら、「あたし」はほかの誰でもなく、「この楽曲」自体だ。

クリープハイプと出逢ったあの頃と今の私は、環境も考え方も、なんなら見た目も違う。

大学をサボって朝も昼も夜も二人で過ごしていた彼氏とは普通に別れたし、
切ってもすぐに伸びてくるロングヘアは、社会人になって乾かす時間に耐えられずボブにした。

平気でみんなに晒してたすっぴんも、そういえばいつからか化け物になったので、今はコンビニに行くだけでも化粧をする。

「じゃあねまた明日」「おやすみ」とリビングでやりとりしていた相手は、今、病院にいる。

だけど、クリープハイプは、クリープハイプが作った楽曲は、ずっと変わらず「そこ」にいる。
「そこ」というのは下北沢とか渋谷とかそういう場所のことではなくて、私の中にある場所だ。
だから私が「そこ」を見失わない限り、ずっと存在し続ける。

たとえ1秒毎に私が変わっていったとしても、変わらないものがある。
その真実に気が付いて、私はまた一歩歩き出した。

翌日、母から電話がかかってきた。
「おとといは連絡できなくてごめんね。今時間大丈夫?」と聞いてくる母に、
「大丈夫、今日は暇だから」と答えた。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?