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【一本目:私と奴と浅草の怪しきこと】『いま、なんどきだい』【第七回:一本目のお話これにて幕引き】

 はじめましての方、ようこそいらっしゃいました。
 二度目以上お運びの方、本日もありがとうございます。
 虎徹書林ぷれぜんつ、木曜日のチョイと怖いお話――略称『虎徹書林のチョイ怖』をお届けします。

 今回の第六話、紙又は電子書籍に収録することが前提の短編小説の三本立て構成です。週に一度の連載で、完結まで五カ月ほどかかります(2024年7月ごろに完結予定)。一回分のボリュームは約5000文字ほどです。
 収録する書籍の出版予定は未定ですが、書籍化するにあたり加筆・修正がされます。また書籍化の規約上、noteでの公開が中止になることもありますのでご了承ください。

<七~隅田の風は二本目へ~>
※無料公開中は虎徹書林作品のご紹介(真ん中へんと最後あたりの二回)が含まれます

 街中華でタンメンを食うという嫌がらせをもって死者への手向けとし、永遠の決別を図らんとする野望は潰えたが、これはこれで悪くは無いなと観念しつつプラ容器を懐に入れた。
 空腹は峠を越え、もはや腹が減っているのか悟りを開いたのかさえ分からなくなっていて、私は女将の最後の忠告に従うまでもなく、路地を抜けるまではただひたすらに歩くに努めた。
 紅い闇が濃密な湿り気を帯びてきて、亜熱帯の草いきれが混じったような重たさでもって手足に纏わりつき、溺れ死ぬのではと錯覚するほどの息苦しさを覚えた頃、私はとうとう黒塗りの板塀に挟まれた細い路地から解放され、オレンジ通りにほど近い新仲見世の中に佇んでいた。
 どの店もシャッターを降ろし終え、観光客どころか地元の人間と思しき人も見当たらない。遠くのほうで笑いさざめく飲食店の気配はするが、ひと気の途絶えたこの界隈にあっては束の間の偶然で繋がってしまった別の世界の出来事のようだった。
「おいおい、今、何時(なんどき)だい」
 慌てて時計を見ると、夕飯時なんてとっくの昔、そろそろ終電が出ていくことを心配しなければならない時間である。体力的にも精神的にも、駅まで走ることなど出来そうになかった。
 私は地下鉄で帰宅するのを早々に諦め、雷門通りでイチかバチかタクシーを拾うべく移動することにした。
 途端に、ぐるる……と。
 腹の虫が、これまた、殊勝にも己の不覚を恥じるように鳴った。
 これまで共に浅草の街中を歩き通し、時に懸命に空腹を、時に生きることを諦めるなという意思表示を、人語ならざる言葉で私に伝えてくれていたが、黒塗りの板塀の一本道に迷い込んでからはいつの間にか息を潜めていたと思われる。
 それとも、あれか?私の時間間隔や距離感覚が麻痺していたゆえに、身のうちの現象すらもまともに知覚出来なくなっていたのだろうか?
 つらつらと考えていたら、頭のてっぺんから背骨を伝って悪寒が走って膝の発条を外したらしく、その場にへたり込むに至った。血糖値が低くなりすぎた私の体が、現実的命の危機をようやく察したのだろう。
 妙に大粒で冷たい汗が全身から吹き出し、私はその日一番の安堵と恐怖を噛み締めた。
 奴の呪いの力というか、執念の凄まじさを忘れていた。いや、忘れていたこと自体がなんらかの禊だったのか。
 今しがた自分が出てきた路地の出口を振り返ると、そこには黒塗りの塀も細い道も無かった。あるのは山と積まれたビールケースと、兵どもが夢の跡もかくやと言わんばかりのゴミ袋の寄せ集めと、サドルの無い自転車が数台。元よりとても人の往来があるとは思えない様相だった。あんなものを避けながら歩いてきた覚えはない。
 視線を上げれば、薄曇りではあったが、鉄紺色の夜空が広がっていた。
 肌に、呼吸に、圧し掛かってきて無感情に舐め回すような紅い闇も、不自然なほどの清浄さと信用のならない安心感とに支配された未舗装の道も、既に見当たらなかった。
 私は紛れもなく、束の間の眠りにつこうとしている浅草の街に立っていた。
 ひと気が無くなり無味乾燥な静けさの中に沈んでいても、二日と置かず逢いたくなってしまう雑然とした可愛げ、そして掴みどころのない我儘と絶望を抱えながらもヘラヘラ笑う頑固さ、それらを佃煮にしたみたいな街――まるで奴そのもののような街に、だ。
 私が能く見知った浅草、である。本質まで理解はできずとも、深く親しんできた浅からぬ縁が絡み合う街である。
 何度も同じことを確かめ、ホッとして、浅草によく似た見知らぬ街を彷徨ったという新鮮な記憶を反芻しては再び疑心暗鬼になりつつ、また何かの拍子にこちら側ではない道に迷い込んだりしないかしらとびくびくしながら冷や汗を拭った。
 とにもかくにも、私は立ち上がった。無事とは断言できずとも、私は生き延びたのだ。その実感が湧き上がってくるにつれ、手足の重たさがこそばゆかった。
 のたりのたりと、地べたを這うかの如く雷門通りに辿り着き、幸運にも数分も置かずしてタクシーを拾うことができた私は、清潔なカバーがかかった後部座席に尻を沈めるとすぐに懐に手を突っ込んだ。
 目当てとしていた財布とは別の、異質な感触にハッとした。
 革の弾力に比して指先に固く、つるりとして、軽く押しつぶすとパリッと脆そうな音がする。
(嗚呼、そうだった)
 あの小さな老女将が、路地を出るまで食べてはいけないと言っていたアレ……煮しめたひじきを混ぜ込んだ、仄かに柚子が香るあの稲荷寿司!
 徐々に取り戻しつつあった現実から、再び記憶の中の奇妙な時間の流れに引っ張り戻されたのか?と体が錯覚したのか、背筋が勝手に粟立った。
 タクシーの運転手が、バックミラーを覗きながら一旦止めましょうか?と聞いてきたが、私は首を横に振り、その申し出を断った。ハァ……ほんとに?と、運転手は不審を隠すこともせず、ジロジロとこちらの様子を伺っていた。
 どうやら飲み過ぎて気分が悪い客に当たったと思われたらしい。車内で吐くのは止してくださいよ、と小さく注意を促してきたので、後部の車窓を全開にしてもらい、私はなんとなく彼に調子を合わせてやった。
 半日のうちに経験した奇妙なあれやこれやを運転手に説明してやる義理はこれっぱかしも無かった。語って聞かせたところで、体験者である私でさえ理解不能な話は、よくあるタクシー怪談のひとつとして本質や真意といったものを考察されることもなく、面白おかしく消費されていくのが目に見えている。だったら、運転手のピンぼけな観察眼に調子を合わせ、猿芝居でも酔っ払いになりきったほうが万事丸く収まる、というものだろう。
 少し気分が良くなったよ――神田川を渡ったあたりで、そんな事を言ったような気がする。
 運転手はようやく安心したのか、バックミラー越しに警戒の眼差しを送ってよこさなくなった。


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 窓は全開のままに、私は心地よい夜風を存分に楽しんだ後、一息ついたとばかり、再び懐に手を入れ、そっと、音を立てないようにプラ容器を引っ張り出した。
 窓から入ってくる風に吹かれたせいでなく、あの爽やかな柚子の香りが鼻腔をくすぐることは無かった。油揚げに包まれた飯のふっかりとした感触も、手のひらに返って来ない。
 それどころか、全く覚えのないずっしりした重みと、薄いプラスチックを通してもわかる、冷たい硬質な感触に、率直に困惑した。
 咄嗟に、運転手にちょっとだけ止めてくれと頼み、車通りが束の間途絶えた国道の路肩に停車するのとほぼ同時に車内灯を点けてもらった。
「今度こそ御気分が?エチケット袋でしたら――」
「あー、いや、そうじゃなくて……その、なんだがね。君にも見てもらった方が早いな。君にはこれが何に見えるかね?」
「はい?」
 運転席と助手席の間、ちょっとした物入れの上に私は例のプラ容器を置いた。二つ折りにした透明の容器がパン、と開く。
 華奢な容器に入れるには似つかわしくないそれらは、車内灯の光を爽やかに反射して佇んでいた。
 運転手はハンドルから手を離すことなくまじまじと見つめ、再びハイ?と呟いて首を傾げてから、私に不思議そうに或いはやれやれといった調子の表情で、
「石……ですかね?どう見ても」
「だよねえ」
 それらは、稲荷寿司ではなかった。運転手の言を借りれば『どう見ても』食べものでは在り得なかった。
 稲荷寿司のあったところに入っていたのは、稲荷寿司と同じ形・大きさの、白くてピカピカ光る石だった。表面が目の細かい紙やすりの質感に似て、その僅かな凹凸の間にガラスのように無色透明な粒が混じっている。それが三つ、綺麗に横並びで入っていた。
 その内のひとつを、私は稲荷寿司をつまむ手つきで取り、もう片方の手のひらに乗せて握り込んでみた。石は私の体温を吸った瞬間、息を吹き返した生き物のように仄かに発熱し、そして幽かに震えた……ような気がした。おおこれは、と運転手にも手に取るように身振りで勧めてみたが、あまり良い顔はしてもらえなかった。
 そういう服務規定があるのか彼は決して両手をハンドルから離さず、何なんですかいったいと言った切り、愛想笑いを浮かべることもしなかった。
「さあ、ねえ。私にもさっぱり、何が何だか……わからないんだ」
 ついさっきまで稲荷寿司だった、はずなんだがねえ――そう言いかけたが、止めておいた。
 実は、そんな場合ではなかったのだ。
 急に意味不明の可笑しさが込み上げてきて、座席の背もたれに体重を全て預けて、ゲラゲラと大声で笑った。私をギョッとした顔で見つめる運転手の様子も滑稽で更なる笑いを誘われ、しばらく止まらなくなってしまったのだが、それも徐々に落ち着き、いつの間にかボロボロと頬を伝っていた涙を手の甲で拭う段になって、ようやく私は常の冷静さを取り戻した。
 石を詰めたプラ容器を懐に突っ込んでから、運転手に、仕事の邪魔をしたことを深く詫びた。
 そうして再び走り出したタクシーの加速が座席を通して私の背中を心地よく圧すのを感じながら、随分と仰々しい挨拶じゃないか、と流れ行く夜の街に語りかけた。
「お客さん、大丈夫ですか?アタシがこういうこと言うのもなんですけど、袖振り合うも他生の縁、なんてねぇ。タクシーやってると、意外とお客さんの愚痴や悩みをお聞きすることも多いんですよ。たまぁに『運転手さん、怖い体験ないですか?』なんて、逆にアタシの話を聞きたがるお客さんも居ますがね。もし、アレだ。お客さんが今日怖い目に遭ったとかでも……決して口外しませんからね、アタシに話せる範囲で結構なんで。なんでも聞きますよ」
 バックミラー越しの運転手の微笑は、とても嬉しかった。が、私は敢えて、こう答えた。
「いや、すまんね。ありがとう。長年連れ添った……そう、漫才師だったら相方と呼ぶのだろうね。そんな友人から貰った土産、のようなものだと思うんだが。寿司折かなんかだと思ったら、石とはねぇ……大したサゲだ、奴らしいと思ったら、笑わずにはいられなくなってサ。まったく、奴のユーモアのセンスときたら、どこか抜けてるというか突拍子もないというか」
 半分以上は嘘である。
 残りの本心の部分は、大部分が寂しさだった。蕎麦屋と、蕎麦屋の女将と、タクシーの運転手と。おそらくは一期一会であろう、思いもよらぬが決して疎かに出来ぬ縁と引き換えに、私は今度こそ奴と決別したのだ。自分であれほど望んでおきながら、だよ。
 何故だか無性に、寂しくて、切なくて、嗚呼もうこれで本当に、今生のみならず来世までも、奴との縁は切れてしまったのだなと、実に明瞭にわかってしまったのだ。
 根拠はない。筋道も理屈も、私と奴の間には元から存在しなかったように、私はそれをありのままの事実として受け入れていた。
 何をもって縁と呼ぶのか?縁とは何か?私はそれをきっぱりと説明する言葉を持たない。とても太く、温かいものだった、という事だけは確かだが。
 夜の国道をタクシーは軽快に走っていた。
 再発進してからは、一度も赤信号で止まることなく、エンジンの音が痺れた思考を解きほぐしてくれるようだった。
 街並みは浅草から遠ざかるほどに、下町特有の気配がぽろぽろとこぼれていき、高層ビルの屋上の航空障害灯の数が増えてきて、私が居るべき場所が何処であるかを思い出させた。
 勝敗はともかく、私が呪いと名付けた奴の目論見から逃げ延びた現実は、目の前に広がる夜景へと続いていた。車窓から吹き込む風に頬を叩かれ、感傷的な気分に浸ってはいても、其処には浅草の街に後ろ髪を引かれるような気分が少しも含まれていなかったのが、そのなによりの証拠ではなかったか。

 その後、心身は緩やかに回復していき、心配をかけた御贔屓筋には多大なサービスも付けられるほどに、仕事も順調にこなした。不思議なことに、新規の案件が続々と舞い込み、その伝のおかげで、休みの日にふらふらとひとりで出掛ける先の選択肢も広がった。
 だから、浅草へはあの日以来、本当に一度も行っていない。
 最近では取引が手広くなりすぎて、今いる仕事場兼自宅が窮屈になってきたことと、リモートとやらでも仕事が回るようになったことから、見知った店も飲み仲間も無い小ざっぱりした場所に、近々移ろうかと考えている。
 浅草に負けず劣らず妙な出来事に出遭ってしまうらしいという遠い西の街に、手ごろな物件を見つけたのでね。では、あとは良しなに。

第八回へ続く】

 最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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まさかとは思いますが……コラボのお誘いとか御仕事のご依頼とか――


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