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【二本目:その席にて待つ】『いま、なんどきだい』【第十回の配信】

 はじめましての方、ようこそいらっしゃいました。
 二度目以上お運びの方、本日もありがとうございます。
 虎徹書林ぷれぜんつ、木曜日のチョイと怖いお話――略称『虎徹書林のチョイ怖』をお届けします。

 今回の第六話、紙又は電子書籍に収録することが前提の短編小説の三本立て構成です。週に一度の連載で、完結まで五カ月ほどかかります(2024年7月ごろに完結予定)。一回分のボリュームは約5000文字ほどです。
 収録する書籍の出版予定は未定ですが、書籍化するにあたり加筆・修正がされます。また書籍化の規約上、noteでの公開が中止になることもありますのでご了承ください。

<三>
※無料公開中は虎徹書林作品のご紹介(真ん中へんと最後あたりの二回)が含まれます

 列の最後尾に落ち着いたところで、鞄に忍ばせていた文庫本を取り出した。私は常に本を携帯していなければ落ち着かない、いわゆる本の虫ではない。休憩時間や交通機関での移動中、不用意に怪異と顔を突き合わせないようにするために、読書という手段は大変に都合がいいのだ。
 つまり私は、きわめて消極的な読書好き、である。
 消極的ゆえに、選書の時に本の内容やタイトルを確かめない。今日は書棚の○段目、このくらいの厚みがいいなと、その時の気分だけを頼りに選ぶ。書店でも図書館でも家の本棚でも、やり方は変わらない。そしてブックカバーを掛けることなく、鞄に突っ込むのである。
 本好きの友人には良い顔をされずとも個人的には困ることが無かったこの癖を、私はこの日初めて悔いた。
 手にした本の表紙には、食通で知られる文豪の名が記されていた。
(嗚呼、これでは更に腹が減る)
 既に何度も読んだ本なので、内容が脳裏で数秒のうちにレビューされた。柚子の香りにパリの焼き栗、鯛の茶漬け、コハダの新子の握り……よせばいいのに表紙を捲り、もくじに目を通したら胃がキューッと絞られるように凹んだ。
「何の本です?」
 連れの女性と無言で列に並んでいた目前の男性が、不意に訊ねてきた。
「あ?ああ……食に関するエッセイです。いやぁ、こういう時の暇つぶしにと、いつも本を持って歩くんですが、ランチ難民の時には一番読んじゃダメなやつ」
 表紙を見せると、男性はアァハハ……と苦笑いした。
「僕たちも、実は似たようなもんでして」
 彼に促された女性がタウンリュックから取り出したのは、浅草の文字が表紙にデカデカと踊るムック本だった。カラフルな付箋が幾つも天からはみ出しているところから、彼らがいかに欲張りな観光スケジュールを組んでいたかが伺えた。
「ガイドブックを買い込んで一ヶ月、彼女とあーだこーだと旅行の計画を練ってきました。しなくていい喧嘩もしたりして、ね」
 女性がほんのりと頬を赤らめ、ウンと頷いた。男性はそんな彼女を愛し気に見やってから、僅かに表情を曇らせる。
「行きたいところを選んで、周る順番を決めて……いや噂には聞いてましたけど、まさか。どこもかしこも九折の行列ができてるほどの人の多さとはねえ。ごはん屋さんも軒並みですから。それに今どきは、デパート上階のレストランと大差ないくらい高価なランチで売り出してるとこが増えてるんですね。僕らの予算内でなんとか浅草らしい、思い出になりそうなランチをと探してみたんですが、小さな間口の店でも『御予約は?』なんて訊かれる始末で」
 男性の愚痴は始まり出すと止まらなかった。そこへ彼女も加勢に入る。
「どこも海外の団体さんで埋まってて。並んでもランチの営業時間内に入店できないからって追い返されたり……下町は気さくで人情味あって、食べ歩きも楽しいって聞いてたんだけど、だいぶイメージと違っちゃった」
 あけすけな物言いに、決して上品に出来てはいない私も繋ぐ言葉を持たなかった。
 二人は付箋を貼ったページを開き、朝はここ、甘味はここ、観音寺を参拝してこの店でランチする予定で……と事細かに組んだ当初の旅程を披露してくれた。その上で、人の多さや待ち時間の見積もりが甘すぎだったことは否めないが、それにしたってここまで不自由な観光旅行もないだろうと、ここぞとばかりに思いの丈をぶちまける。
 おみくじは二人して凶だったしね、と女性が肩を落とせば、私ができるのは観音寺のおみくじの凶出現率の高さを説明することくらいだ。
 一通り私の話を聞き終えた彼女は、おみくじの仕組みに不信感を爆発させ、それで半日分のストレスを解消したようだった。
「じゃあ、あんなの気にすること無いよって彼に言ったの大正解でしたね!ついでにガイドブックも頼るの止めようって。当てずっぽうに歩いてたら、このお店を見つけたんですよ?行列してたけど、表通りの有名店よりずっとマシだったし、お蕎麦ってなんか江戸?って感じだし」
「僕ら腹は減ってますけど、豪華なランチが食べたいわけじゃないんで……ざるそば一人前で充分です」
 女性の機嫌が少々回復したことで、男性の表情も幾分穏やかになったようだった。
 唐突に、私の胸のうちに漠然とした不安が産まれた。
 浅草に限らず、国内の観光地では似たような問題が発生していると聞く。隣県からの旅行者や地元の人々が自由に街を歩けないという事態は、何らかの『障り』と無関係であると断言できるだろうか?怪異に理由を求める根拠はあまりにも弱い。が、予想以上に体力の消耗が激しい私の特性に照らすと、その可能性を捨てるのは性急な気がした。
 あらゆる仮説が渦を巻き、渦同士が干渉し合い打ち消し合って、ひとつの大きな闇を凝らせる。その闇のイメージと浅草の街が、ひとつに重なろうとしていた。
 私は単純な好奇心を装い、この不穏な思い付きを打ち消すための質問をした。
「ここの蕎麦屋、そのガイドブックにはどんな風に紹介されてます?」
 二人は不安気に眉根を寄せ、頷き合った。そして男性がわざとらしく声を潜めて、
「さっき調べたんですが……蕎麦屋も路地も、記載がないんです」
「え?」
 地図ページを確認させてもらうと、この辺り一帯は整然と区画されてはいるが、なるほど該当する路地が無い。念のためと奥付を見ると、先々月に出版されたばかりの新しい本だった。
「掲載が間に合わなかったくらい道も建物も『出来立てほやほや』って事なんですかねえ」
「にしては、随分と前から繁盛してるように見えますが」
 考察を披露し合っていると、我々の入店の順番が回ってきた。
 引き戸を開けて現れたのは、紺の作務衣に白の上っ張り、ひっつめ髪を白い三角巾で包んだ若い女性だった。働きぶりに一本筋が通ってきた入社三年目、といった風情である。
 ご注文はァ……と伝票を記入しながら、手早く人数を確認し、店内の空き状況と照らして接客内容を組み立てていく。雰囲気作りでお仕着せを着てるアルバイトでは醸せないただならぬ気配に、私は彼女のプロ意識を感じ取っていた。
 いよいよ引き戸を潜り、目に飛び込んできた店内の風景には少なからず驚かされた。
 戸口の狭さからは想像がつかなかった広さの中に、四人掛けテーブルがザっと数えて八つ。どこも満席であった。客席の奥には帳場があって、調理場はその裏手らしい。
 テーブルとテーブルの間をくるくると接客しているのは、先ほどの女性店員と同じ服装、同じ髪型の、六人の店員たちだ。まるで姉妹かと思うほど、顔の雰囲気も背格好も似ている彼女たちは、見ていて愉快になるほど鮮やかに配膳や注文を捌いていく。
 天井、床、調度品も時代がかっていて、名店の貫禄という表現しか浮かばない。
 店の佇まいに気圧された私は、この期に及んで食いたいものを決めかねて居り、その旨をつっかえつっかえ店員に告げた。


『いま、なんどきだい』の二本目のお話【その席にて待つ】お楽しみのところ、失礼いたします。
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「あれま、そうでしたか!なら、先にお席にお通ししましょうね、おしながきとじっくりにらめっこなさってくださいなァ」
 彼女はそう言うと、オヒトリサマ席ニオトォシィ!と叫んだ。帳場の方からはハイ!オトォシィ!と返ってくる。どういうシステムなのかはわからないが、これまた江戸の情緒が匂い立つような趣で、どこかこそばゆい。
 ニヤニヤ笑いを堪えつつ案内を待っていると、パタパタ……とサンダルの音も軽やかに、すらりと長身で色白の、別の店員がやってきた。
 少々年かさのいったその女性は、目尻がきゅっと上がったところに唇と同じくらい紅いメイクを点し、店の雰囲気から浮いているように思えた。しかしよくよく見れば、地味ながら仕立ての良い海老茶のきものを隙なく着付け、日本髪を一筋のほつれもなく結い上げているあたり、嗚呼この人が女将なのだと悟らせる何かを身につけていた。
「もし、ちょいとちょいと」
 女将は私の鞄をひったくり、何やら含みのある笑みを浮かべて、
「相席を頼まれておくれじゃありませんかねぇ?」
 チラリと横目で見渡すと、四人掛けのテーブルをくっつけたり離したりして、少人数のグループから団体まで巧みに配し、席の過不足を最小限にとどめながら客の流れが滞らないようにしている。この手腕に、敢えて異を唱える理由はなかった。
「ええ、構いませんが」
「アアアありがとうぞんじますゥゥ」
 一際よく通る声を店内に響かせた女将は、私の鞄を更にきつく抱きかかえ、帳場横の通路へと歩いていった。
(さっきのテーブル席じゃないのか?)
 通路の向こうは別棟になっていた。ちなみに、通路を挟んだ帳場の向かいは目隠しの格子扉があって、隙間から『厠』の木札が見えた。
「あの、喫煙席は――」
「うちは全席禁煙ですよ」
「ああ……はぁ」
 私には煙草をやる習慣はない。できれば食事中は煙草の煙も、喫煙者の身に染み付いた煙草のにおいも、御免こうむりたいと思う。
 だから、喫煙席に通されるのは困る、と言おうとしたのだが――何故、別棟は喫煙席である、と思い込んだのかは、未だにわからない。

 別棟に通されて、この店の構造の怪しさにますます混乱した。区画と店の形状や広さが合致すると思えないのだ。
 通路は別棟を縦に貫き、左手にテーブル席が六つある中部屋、右手に大テーブルを配し周囲をスツールでぐるりと囲んだカウンター席のみの大部屋を配しており、大部屋の方は黙々と蕎麦を手繰る客で満室になっていた。
「ささ、こちらへ……」
 通されたのは、中部屋の奥。紺のカーディガンを羽織り、白髪をピシッと角刈りにした老人がひとりで座る二人掛けの席だった。
 彼の前に座って判った事だが、頭髪同様真っ白でぼさぼさの眉毛に、半ば埋もれたような目は異様に黒目がちで、僅かに覗く白目は黄ばんで濁っている。さては予約した三途の川の渡し舟の出発時刻を待っているのでは……失礼を承知で、そんな印象を抱いた。
 女将が老人の肩をトトンと叩き、お相席お願いしますねと微笑むと、老人はオゥ!と威勢のいい返事を返した。見た目に反して張りのある声である。どう見ても生きている人間だが、けっして健康にはみえぬその老人の様子に、私は言い知れぬ不気味さと昏い興味を覚えた。
 女将はというと、私に鞄を返した後、次々と客を中部屋に通し、あっという間に全席を埋めた。
 私たちの隣の席には、若い夫婦と女の子という家族連れが着いた。母親の横に座った女の子は小学校に上がったばかりといった年恰好である。
 父親と軽く目が合ったので、愛想笑いと共に会釈をしたが、彼は青白い顔をニコリともさせず、ゆるゆると頷いた。その後は妻と娘の手本となるかの如く、テーブルの真っ黒な天板をジッと見詰めていた。
 三人とも気まずい素振を見せることもなく、黙りこくっていた。娘に至っては陰気な顔をテーブルの下にうずめるかの勢いでうなだれている。
「まあ、あれだ。あんまり気にしなさんな」
 相席の老人がへへ……と笑いながら、囁いた。
「アタシらはみんな平等に『客』だからね。楽ぅに、余計な気を回さねぇで、もてなされっ放しでいいのさ」
 そんなもんですかね、と問い返すと、
「オゥよ!ドーンと構えてたらいいんだ。困ったことになったらそン時ゃ、お互い様だよ?助け合いの精神てのァな兄ちゃん、今どき見上げたもんだが此処では無用だ」
 彼と私はどちらからともなく、共犯めいた苦笑いを交わした。
 それは互いの居心地の悪さを共有するではなく、ほんとうに何か良からぬことに巻き込まれるのではないかという悪い予感、そしてその何かを心ならずも楽しんでしまうのではないか、という一種の恐怖だった。
 他のテーブルの客も、顔色や態度が健康的とは言い難い様子だった。彼らは揃いも揃って通路の向こうから漏れ聞こえるさざめきには関心を寄せておらず、それどころか、観光地特有の賑わいなど無用の長物と言わんばかりの無表情ぶりだった。
 老人は気にするなというが、多少は心配するのが人間というものではないだろうか。
 ここにいる全員それぞれの事情で腹が減り過ぎている、という推測もあるにはあった。
 そうは言っても、だ。これから美味いものを食べるぞという期待も覇気も無いというのは、勘が弱くても、霊感が皆無でも、引っ掛かりを覚えずにはいられないのではないか。
 どうにも居た堪れないこの状況でも、店を出るという選択肢は思いつかなかった。

第十一回へ続く】

 最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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