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ライフゴーズオン

人宿町やどりぎ座が閉館してしまうとのことで、最終演目に当日立ち見で駆けつける。

演目は『For Encounters』
最終演目らしいタイトルだけど、とても難解だった。

セリフは無し。
BGMが流れる中、6人の演者がステージに現れて少し負荷の高そうなポーズをとっていく。
ステージ上を移動しながらゆったりと踊り出す。
ときどき倒れ込むがまた起き上がり踊り出す。
6人が目を合わせることはない。
ぶつかることもない。
それぞれバラバラの動きだ。
ほとんど表情もない。
だが、ステージ上に偏ることなくバラバラに踊り続ける様は、不思議な秩序があるように見える。
BGMは繰り返し繰り返し流れる。
曲目はビートルズ「オブラディ・オブラダ」。
曲が繰り返される間に、徐々に演者の動きは曲のリズムに合っていき、大きく激しく強度の高い動きになっていく。
慣れていくにつれて、きつい動きを強いられていく。そんなふうに見える。
ときどき倒れ込むが、またすぐに起き上がり踊り出す。
6人は相変わらず目も合わせずにバラバラに動き続ける。
お互いのことに気づいていないかのように。
いや、気づくとか以前にもしかして知性すらないのではないかと思わせるほどにただただ激しく踊り続ける。
だが、相変わらずステージ上にはなにかしらの秩序があるように感じる。
演者は変わらず無表情だが、疲れを隠せない。

オブラディ・オブラダは何度も何度も何度も何度も繰り返される。
ライフゴーズオン、ライフゴーズオン、ライフゴーズオン…。

それを見ていてワタクシが連想したのは、東京の、ラッシュ時の光景だ。
お互いに気づいてすらいないようであり、ぶつかることなく表情もなく。
毎日毎日毎日毎日繰り返し。
ただ繰り返すだけではなく、日々より高い効率を求められて少しずつ負荷は高まっていく。
BGMが鳴り出せば倒れるまで働き続ける人々。
ワタクシ自身も昔はそうだった。

ライフゴーズオン、ライフゴーズオン、ライフゴーズオン…。
ポールマッカートニーのスインギーなベースが響く。

観客は手拍子をしたり、疲れの隠せない様に笑いが起きたり。
うーん。
ワタクシはその状況に少し胸が苦しくなった。

ついには全員倒れ込んでしまう。
曲も止まる。

しばらくして起き上がった演者たちは他の演者と目が合う。
ようやくお互いに気がつく。
動きをシンクロさせたりして、だんだんと共同してなにかをし始める。
だが、意味のある動きではない。
そして、お互いに意思を通じ合ったりはしない。
BGMが変わる。
無意味な共同作業を続ける6人。

やがて次第に共同的な動きをやめ、それぞれまた自閉的な動きに戻っていく。

突然、6人ともが動きながらバラバラに「あー」と声を上げる。何度も何度も大きな声で。
ワタクシが思い浮かべたのは2001年宇宙の旅のオープニングで猿たちが声を上げながら激しく骨を叩きつけるシーン。
その後も6人は相互のコミュニケーションをとることなく。
やがてステージから去って終演。

そんな感じだったと思う。
たしかに熱量だとか迫力だとか、強度に満ちてはいた。
なにを受け取るべきだったのだろうか。
演劇の世界の常識だとか文脈だとかワタクシは全然知らないので、こんなふうに見えてしまっただけなのかもしれない。
他の方がどのように見たのか興味ある。
他の方には深く納得する共通の文脈があったりしたのだろうか。

演目は『For Encounters』。
ステージの6人が「出会えた」ようには見えなかった。
そこにあったのは「邂逅前夜」というか。
「意味を生み出せなかった彼ら6人とは違い、意味ある出会いを得た僕らが持っていたものとは?」というようなことなのだろうか。
それは、コミュニケーションツール、身振り手振りを含めた「言葉」なのだろうけれど。

そういうことなのかどうか。
ワタクシにはわからない笑。
だけど、ライフゴーズオン。

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