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みちくさ


上州ロマン探訪をあきらめきれず、みちくさやのクリスマスパーティーに行く前に、駆け足で玉村町でみちくさすることにした。

姜維、義経、今川氏真、真田幸村、土方歳三といつだって負けてしまったほうが気になってしまう。
前回書いた通り、今回は滝川一益だ。

古戦場も上野側、武蔵側両方行ってみたが、なんといっても今回見ておきたかったのが、軍配山。
これ↓

暴れ川の周りの平野にこんもりとあるその古墳。

そこに陣を張りたくなるその気持ちはよくわかる。当然登れば見通しもよい。

しかしその緩慢な判断こそが敗着。
滝川にとっては負けの象徴のような場所だ。

のんびり陣を構えたりしてないで、北条の先鋒を本隊到着前に一気に撃破して北条の勢いを止めて、下野や常陸の外様に力を見せつけなくてはいけなかった。
秀吉とあまりにもはっきり差が出てしまった。

ま、信長に忠実で権力への色気が無さすぎたのだろう。

さて、滝川一益を離れて、クリスマスパーティーの会場へ近づきつつ。
次は玉村八幡宮へ。
人形供養で有名らしい。
ふむ。

いい門だ。
1865年の建造らしい。

この門のすぐ前にはこれまたいい感じの煙突が見える↓

これは井田さんという代々の名主の煙突だった。

煙突は明治末から大正の建造と。
現在も酒屋さんを営んでおられる。

前週は東京多摩エリア、その前は駿府を歩いたが、そちらは戦争で焼けてしまって何も残ってなかったり、戦争の傷跡がはっきりと残っていたことと比べると、戦災の影を感じないエリアだ。

そしてクリスマスパーティーの会場のある文化センターへ。
そこには歴史資料館がある。
こっそり見に行った。

古代から近現代まで幅広い展示がコンパクトに。
そこで気を引かれたのは、神流川の戦いの200年後、1783年の浅間山の天明大噴火の資料。
ほとんど知らない出来事だった。
火砕流、土石流は嬬恋を壊滅させて、利根川沿いに玉村町を通過して、東京湾まで到達して大被害となった、と。
Wikipediaには、宮古市の田老でも降灰があったと書いてある。

その記録を読んでると、南関東で過ごしているワタクシとしてはやはり1707年の富士山の宝永噴火を思い出すね。
秦野辺りはその降灰のために農作物は全滅し、タバコや落花生の栽培に切り替えざるを得なくなった。
浅間山では壊滅した嬬恋はその後キャベツの一大産地となるわけだ。

うーん。
みちくさは楽しい。

テクテク歩きながらも、思考は距離も時間もいくらでもぶっ飛んで行ける。
今回もいい時間が過ごせた。
サンキューみちくさや。

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