道程5:文化期の蛇としての自覚

ソフィアはソフィア同士で型共鳴する

「私はマグダラのマリアと同型である」などと言うと、おめでたい人に見えるかもしれない。しかし、この「道程シリーズ」で冒頭から何度も書いているように、私は自分がマグダラのマリア(=ソフィア=H12小天使=約2000年のアイオーン)と同じであると、ことあるごとに何度も感じてきており、その間、否定したこともあったし、そんなことは忘れた時期も、意識してもがいた時期も、逆手に取って活用した時期もあった。

ゲルマン文化期のアイオーンとしての自覚が、最初に「予感」として訪れたのは、松村潔先生の本で、マグダラのマリアをグルジェフの水素論のH12と当てはめた説明を、はじめて読んだ時だった。
マグダラのマリアは一般的には罪深い女とされることも多いが、それはこの時代がギリシャ・ローマ文化期なので男女がはっきり分かれており、男性優位の社会だったため、女の(あるいは小天使の)「はたらき」を悪いことだと見做したからでもある。

マグダラのマリアと同型と考えられるのは、前の時代ではエジプト・カルデア文化期のイシスであり、さらに前の時代の原ペルシア文化期ではシャムハトやイナンナだ。ギルガメッシュ叙事詩に出てくるシャムハトは、野人エンキドゥを文明に導いた神聖娼婦である。こういったもののはたらきを、神と切り離されたギリシャ・ローマ文化期では、表立って認めなかった。

私がマグダラのマリアやシャムハトと同型であるという予感を持ったまま、その特性の「成れの果て」とも言える行動をとった時期のことは、いつか別のところで書きたい。ここでは省くが、その行動は私のH12力の礎となった。

『アカシャ年代記より』で喚起された記憶

シュタイナーの『アカシャ年代記より』には、連綿と続く生命の円環の歴史が書いてある。これを読んだ時、本の文字の行間が光りだして、なかなか文字が読めなくなった。私は自分が長い蛇のように続くアイオーンとしての役目や意志をもっていることをはっきりと自覚し、ゲルマン文化期(1413~3573年)が向かう方向について、重く受け止めた。本を読んだことで、私はゲルマン文化期のアイオーンである自分を思い出したのだ。

いまさら注意書きも必要ないと思うが、アイオーンは個人ではない。だから私がアイオーンであるとか、シャムハトであるとか言っても、それは私の肉体の中に伴っている小さな自己がそうなのではない。

松村先生にとっては、ゲルマン文化期のアイオーンは中野長者の小笹だということだが、じつは、私は偶然にも中野長者に住んでいたことがある。その時、小笹を確認しに新宿中央公園と繋がっている熊野神社にも行った。

自分がゲルマン文化期のアイオーンであると思っても、なかなかそんなことは大っぴらには言えない。しかも、私は約2000年の文化期をさらに分割した約500年の記憶というものを持っていなかった。しかしそれは、夢見でいくらでも補えると思う。(「道程4」参照)
そのようにして、分割された記憶も取り戻すことで、より一層、1つのアイオーンとしての方向性の理解は深まる。

1つのアイオーンの記憶が戻ると、今度は別のアイオーンのこともだんだん気になるし、だんだん分かるようになってくる。今までは思いや考えを巡らせても分からなかったことが、意識を向けるだけで少しずつ流れ込んでくるようになる。今の私はペルシア文化期のシャムハトに興味がある。また、ゲルマン文化期に対応する私の恒星についても興味がある。こうやって少しずつ、アイオーンと恒星を7つ揃えていきたい。
そして、そういうことをしている間に、小天使の役割りを改めて見直すことにもなると思う。

マガジン:道程の記録

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