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横浜の赤い靴神話ー横浜星図ー

だれもが赤い靴の女の子

 横浜という名前は、横にのびた浜という地形から付けられたものですが、横浜はもとは小さな漁村で、今の元町あたりに集落がありました。そこから伸びた長い砂洲が横浜の由来で、そのほかの場所はほとんどが入り海でした。その大きな入り海を埋め立てて、田畑に出来るように開墾したのが吉田勘兵衛という人です。入り海だった場所は、吉田勘兵衛の名前から吉田新田と名づけられました。このことについては、横浜市立の小学校に通うともれなく習うので、知っている人、もしくは何となく覚えている人も多いかもしれません。私の時は、先生から「開墾」という言葉を覚えておきましょうと言われた記憶があります。私はこの授業になぜか惹きつけられた覚えがあります。埋め立てられた釣鐘状の地形、吉田新田という名前、どれもが印象的だったのです。

 吉田新田の埋め立てが終わったのは1667年で、鎖国の真っ最中です。村人たちは漁に加えて大きな田畑を耕せるようになりましたが、作物がよく育つようになるには時間がかかり、かなり大変だったようです。横浜村は開墾により発展し始めていましたが、しかし東海道に直結している神奈川宿や神奈川湊よりも、のどかだったようです。それが、横浜村のこのあとの運命を左右することになりました。

 1853年にペリーがはじめて来航し、開港場を開かなければならなくなった時、幕府は東海道に直結している賑やかな神奈川を避け、そしてなるべく江戸から遠ざけるために、横浜村を選びました。こうして小さな村は、1859年7月1日、横浜よりも何倍も大きなものを受け入れるポータルとして生まれ変わることになったのです。

 長らく閉じていた場所が急に開かれると、今までのやり方が大きく変わったり、変化についてゆけないものは淘汰されたりして、その混乱の中、何が幸せで不幸なのか、今までの基準では分からないようなことも起きるでしょう。横浜のシンボルのようになっている『赤い靴』という歌がありますが、この歌も幸か不幸か分からない、そんな風に感じられることが、多くの人の心に響くのではないかと思います。

「赤い靴はいてた おんなの子 異人さんに連れられて いっちゃった
 横浜のはとばから ふねに乗って 異人さんに連れられて いっちゃった」

「いっちゃった」と言っているのは一体誰なのか。定説では、これは実話に基づいて書かれたもので、赤い靴の女の子は佐野きみだと言われています。母親のかよは、宣教師の夫妻にきみを預けましたが、きみは結核にかかっていたためアメリカに連れて帰ることが出来ず、宣教師夫妻はきみを孤児院に預けたまま帰国してしまいます。きみは母親にも宣教師夫妻にも会うこともできないまま、孤児院で9歳で亡くなり、母親のかよはそのことを知らなかったそうです。これが歌のもとになっている話だというのが定説です。ということは、この歌は、子を手放し、アメリカに行ったと思っている母親の歌なのでしょうか。

 歌や芸術は、現実のそれらしい出来事とは切り離したほうが生き生きしてきます。現実とくっついたままでは、鳥かごの中の鳥のように自由にはばたけません。歌には多くの象徴が含まれているからこそ、集合意識に働きかける力を持ちます。こういう事実を歌ったものだと断定すると、歌は地に落ちてしまいます。ですから、佐野きみは実際にはアメリカに行っていないなどということを考慮する必要はありません。

 子供の頃の私は、「いっちゃった」と言っているのは、女の子と同い年ぐらいの男の子だと想像していました。男の子は取り残されてしまった。もしかすると自分も行ってみたかったのかもしれないし、怖い異人さんに連れていかれてしまった女の子を案じているのかもしれません。しかし女の子の視点で見れば、不安もあったかもしれないけれど、新しい世界にワクワクしたかもしれず、もしくは、小さい子にとっては選択肢がなく、大きな流れに身を任せるしかなかったのかもしれません。どちらにしても、私がこの歌を知った時(それは4~5歳の時だったと思います)、赤い靴の女の子はこれから大変なことがあるかもしれないけれど、それでも幸せなのだと感じました。そして自分は赤い靴の女の子なのだと強く思ったのです。

 異人さんを乗せた黒船はある時突然やってきました。それは未知との遭遇で恐ろしいけれど、同時に楽しいことです。異人さんの船は、横浜で色々な積み荷を降ろし、そして別のものを積んでゆきます。中には青い目の人をこの地に降ろして、その人は横浜に住み着き、またある時は黒い目の人を船に乗せて、海の向こうへ連れて行ったこともあったでしょう。横浜はとてつもなく大きなものが入ってくる場所であり、また飛び立つ者のための場所でもあるのです。実際の佐野きみさんは海を渡っていないかもしれないけれど、もはやこの歌と同化したきみさんは、異人さんと一緒に飛び立ったと言えるのではないでしょうか。

 私は横浜のポータルとしての性質は、恒星が降りてくる場所になるのではないかと思っています。本書はそのために書きました。人は死んだら星になると言います。死ぬとは、肉体を脱ぎ捨てて自由になることですが、その時私たちは、港から船が発つように、あるいは空港から飛行機が飛び立つように、彼方へと広がってゆくのでしょう。

「今では青い目に なっちゃって 異人さんのお国に いるんだろう」

港には、それぞれ自分の故郷の星が、船に乗って迎えに来ます。私達はそれをみつけて、いつか星に帰るでしょう。そして青い目の異人さんになるのでしょう。私たちはだれもが赤い靴の女の子なのです。

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