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Bの樹のマルクトの夢見

Bの樹のマルクトは、Cの樹に重なっておらず、Cの樹とのパスは想定されていない。しかしCの樹の水星(ホド)、月(イエソド)、マルクトそれぞれの円の円周上にBマルクトはあり、見えないパス(名前の付けられていないパス)があると考えても良いと思う。

音楽を利用した科学的な試み

Bマルクトの夢では、松村潔先生のすすめで、先生が30代頃にグループで開催した講座の録画を見ていた。昔の映像なので横幅が狭く、それを四角いブラウン管テレビで見ている。内容は音楽演奏と科学を組み合わせて精神世界を探求するというもので、松村先生は縦揺れしながらノリノリでピアノを弾いていた。
その講座で使われていたピアノ曲は、私にとって苦い思い出のソナチネで、子供の頃に練習しても弾けず、ピアノの先生におまけしてもらったというもの。
講座映像を見て、私は「また弾けるように練習してみようと思いました」と松村先生に話す。先生は、「みんな分かっていないけれど、弾けるようになるというのは、もともとの言葉の位置も変わるということなんだよね。」と、そこにいた人たちに話した。

質量性が思い通りに完成すると、中心性も変わる

音楽は波動性で、科学は粒子性とすると、これらを合わせることは、アーリマンとルシファーの間を取り持つミカエルの話を思い出す。方向性が反対のものを結び付けるという意味だ。
例えば中心性と質量性(周縁性)も、二極の関係にあるものだが、ピアノ曲が弾けるようになるというのは、最初の意志を貫き通して形になることであり、原因と結果の関係だ。
「みんな分かっていないけれど、弾けるようになるというのは、もともとの言葉の位置も変わるということなんだよね。」というのは、結果が思い通りに出た時、当初の「弾けるようになりたい」という考えはもうそこにはなくて、別の目標などに変わっていたりする。
原因と結果を、中心性と質量性と言い換えると、質量性が思い通りに完成すると、その影響で、中心性はもう別のものに変化する。Bマルクトではこのようなことが常に起こっていて、中心性と質量性のあいだに切れ目がないのかもしれない。

Bマルクトよりも下にあるCマルクト(地球)では、壁よ曲がれと思っても曲がらない。でもBマルクトでは、壁はいつでも言うことを聞く。

プロキシマ・ケンタウリの改造力

松村先生は、夢(ミディアムランドだったかもしれない)で、プロキシマ・ケンタウリが考えるよりも前に、質量性が勝手に宇宙船を作っていくというのを見たことから、プロキシマ・ケンタウリの宇宙船をBマルクトのイメージに当てはめている。考えると同時か、それよりも先に反応する質量性というのは、本質と質量のあいだに断絶がないわけだけれど、それは本当にすごいことだと思う。

もうひとつは、松村先生はJR東京総合病院で大腿骨の手術を受けられたが、退院後も、その病室と看護師のイメージを借りた夢などをよく見ていたことから、Bマルクトにはそこの病室イメージも当てはめている。大腿骨の手術は人工骨を入れるのだから、治療というより改造に近い。これも望んだとおりに質量性を変えた。

私が以前見たBの樹の夢では、犬の鼻が爆発するというものだったのでシリウスではないかと思った。しかし今回の夢では、質量性との関係が筒抜けなことが強調されており、これは、プロキシマ・ケンタウリの性質に近いのではないかと思う。Bの樹に降りてくる恒星は1つと考える必要はない。

「みんな分かっていないけれど、弾けるようになるというのは、もともとの言葉の位置も変わるということなんだよね。」ということは、ロゴス(言葉)であるプロキシマ・ケンタウリは常に変わり続け、それでも自我を保ち続けているということなのか。
言うことを聞く質量性とは、振動密度が高く、柔軟で、深い眠りに落ちていない。Bマルクトは起きている。夢の中で、松村先生がピアノを弾くのにノリノリで縦揺れしていたのは、粒子の振動が細かくて目覚めている質量性を表していると思う。

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