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#29.みんなのギリシャ語とギリシャ語の周辺

ギリシャ語はヨーロッパ言語の王道の一つ!

そう思いながらもギリシャ語を勉強せずに早くも半生が過ぎたと思います。

ギリシャ語の面白い特徴(?)の一つは、現代ギリシャ語はあまり学ばれず古典ギリシャ語の方がよく学ばれるということだ。例えば大学の授業のシラバスで「ギリシャ語」とあって、「うわ、こんなところにギリシャ語の授業がある。行こう!」と授業に顔を出したところ、実際は古典ギリシャ語の授業だったということはよくある話。

ギリシャに旅行に行きたいと思って授業を受けた人が名詞や動詞の変化を延々と覚えさせられて、そのうちクラスからいなくなることも多いとか少ないとか。

最初に覚えたギリシャ語

ところで、私がギリシャ語で最初に覚えたのは「ありがとう」にあたる「エフハリスト」だったと思う。日本からベルリンに行く途中、フランクフルトで飛行機の乗り換えの際にギリシャ人の親子に遭遇したのがギリシャ語を覚えるきっかけとなった。子供はまだ小さくて、ベルリンにドイツ語の勉強に向かう予定のはずなのに一緒に行動していた学生達の間では一時的にギリシャ語の挨拶を覚えて、その子供が喜ぶ様を見るのが流行った。本当に束の間のギリシャ語学習ブームだったと思う。

また、勘違いして覚えていたのだが、昔テレビで放映していた『カリメロ』という黒いひよこのアニメがあった。そのキャラクターの名前とギリシャ語の挨拶を混同して「カリメロ」がギリシャ語の「こんにちは」だと大人になるまで思っていたが、改めて教科書を開くと正しくは「カリメラ」であることを最近知った。

ただし、「カリメロ」はイタリアの漫画であるらしいが、Wikipediaによればギリシャ語に由来する名前であるらしい。イタリア語の記事を読むと"Kallimeros"という名前が元にあると書かれていた。この元となったとされる"καλός"と"mέλος"という単語も辞書によれば確かに存在しているが、イタリア語の記事を読んでいると原作者がギリシャ語から作って命名したのではなく、ミラノにある自分が結婚した場所「サン・カリメロ教会堂」という教会から取ったものであるらしい(1)※。

このように考えると案外、子供の頃から学生時代までギリシャ語という言葉を意識する機会は割と多かったのではないかと思う。もちろん日常生活の中でギリシャ語だと知らずに使っている単語も多い。アラクネとかクロロなど医学や学術用語に特に多いと思う。そういえば昔、言語学の論文を読んでいてアロモルフ(異形態)の訳語が分からず苦労したことがあったっけな。

このようにギリシャ語は古い時代から現代にかけてまで私たちの学術的な生活に必要な語彙を供給し続けてくれている、大変お世話になっている言語なのだ。その一方で、なぜか現代のギリシャ語にはあまりスポットライトが当たらないのは皮肉なことである。

ギリシャ語の周辺

実は我々以上にギリシャ語は色々な言葉に恩恵をもたらしている。

そのような事情を知ったのは、大学の卒論の時であった。その時文献を読み漁ったのは「ロマ二語」と呼ばれる言語についてだった。ロマ二語はギリシャ語から強い影響を受けている。

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コザニのロマ/ジプシーの音楽隊(ID 32683265 © Dinosmichail | Dreamstime.com)

ロマ二語はギリシャ語と同じ印欧語族に属するが、ヨーロッパで伝統等的にしゃべられている唯一のインド系言語だ。現代になって南アジアのインドやパキスタン、ネパール、バングラデシュから欧州にやってきた移民たちと異なり、しゃべり手であるロマ/ジプシー※※たちは少なくとも何百年も古くからヨーロッパで暮らしている。

例えば一四二三年にローマ皇帝ジギスムントがロマ/ジプシーの集団を率いたラディスラスという人物にハンガリーの通行許可を与えたという記録が残っている(2)。現在、ロマ二語はヨーロッパ各地で少数言語として保護の対象になっている。フィンランドでは内国語(kotimainen kieli)、つまりフィンランド固有の言語の一つとしての権利が保障されている。

今ではありがたいことに日本では研究者さんが白水社さんから教科書を出すまでになっている。昔はロマ二語について日本語で学べる本はなかった。時代は変わったなぁ。

ただし、特定の方言ではなく、人工的な側面の強い標準ロマ二語の教科書なのでその点を踏まえて購入するべし。

ところで、ロマ二語とギリシャ語はどう関係があるのだろうか?

ロマ二語はヨーロッパ中に広がり、その土地の言葉の影響を受けた独自の方言を発展させる一方で、かつて自分たちが旅の途中長く留まっていたと思われる地域の言葉から借用した語彙を、散り散りになった後でも保守的に保持するという傾向がある。これが面白い。

その一つがギリシャ語からの借用語の層である。ヨーロッパのロマ二語はある時期にギリシャ語から強い影響を受けたようで、ギリシャ語からの多くの借用語や接尾辞を借用している。それはギリシャやバルカン半島から遠く離れたフィンランドのロマ二語にも見ることができる。

例えば、ロマやジプシーと呼ばれる人々のシンボル的な言葉として"drom(道、旅)"があげられるが、これはロマ二語のインド系の単語ではなく、ギリシャ語の"δρόμος(dromos)"からきていると考えられる。

また、ほんの一部の紹介になるが、Granqvistの著書で紹介されているフィンランドのロマ二語の単語の中には" kokalos(骨)"という言葉がある。ギリシャ語の「骨」"κόκαλο"が連想されるが、確かにこの単語は研究者のマトラスによりギリシャ語の借用語として著書で言及されている (2)。またギリシャ語はロマニ語に数々の名詞の"-os"や"-mos"などの接尾辞をもロマ二語にもたらしている(2)。

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シロス島エルムポリでカゴを編むロマ/ジプシーのおじいさん(ID 120046369 © Elenimac28 | Dreamstime.com)

一方で、ロマ二語の「Sepečides方言」——「カゴあみ方言」とでも呼べばいいのだろうか——では変種によってギリシャ語からの影響に違いが出る。ギリシャ語からの古い借用語、例えば"uzuni "drom"ende(長い道のりで)※※※"の"drom"のように古い時代のギリシャ語系語彙をフィンランドのロマ二語と同様に保持している。

一方で文例の"uzun"を見ればわかる人にはわかるとおり、イズミルの「カゴあみ方言」にはトルコ語からの影響が強い。比較級は"daha"や"en"などを使っているとされる。一方で、PetraとMozesの研究ではギリシャのテッサリア地方にあるヴォロスの「カゴあみ方言」では"po"を使った比較級と最上級を使うとされる2。

これは現代ギリシャ語の"πιο(pio)"を使った比較級を彷彿とさせる。ギリシャ〜トルコのロマ二語はギリシャ語とトルコ語がインド系言語の中で溶け合った稀有なハイブリット言語なのかもしれない。

自分の留まった地域の比較級を取り込み文法化する特徴は、ロマニ語全般に共通するギリシャ語の借用語の層に対して、どちらかというと新しい文法的特徴に分類されるだろう。そのため、比較級に見られるようにギリシャに長く暮らすロマ/ジプシーのロマニ語の方が他のロマ二語と比べて、ギリシャ語から強い影響を受けていると考えられる。

終わりに

このようにギリシャ語は今も昔も、世界中の人々や言語的な隣人に語彙や文法の供給をもたらしている。だから、我々ももう少し、ギリシャ語に対して敬意を持ってあたってもいいのではないだろうか?

本を買って、ギリシャ語を勉強してその壮大な歴史に触れることができれば、少しはギリシャ語に恩返しすることになる。そして、そのような世界を紹介してくださっている先生や研究者の方々にも金銭的なフィードバックもできるだろう。

書店では『現代ギリシャ語』でも『古典ギリシャ語』でも良書が出ておりますので、夏の読書にどうでしょうか...(古典語ではチエシュコがおすすめですが、子供がお小遣いでかえる金額ではないため、大人の読書にお勧めします)。


参照

(1)https://it.wikipedia.org/wiki/Calimero
(2)Crowe, David "The Roma (Gypsies) in Hungary through the Kadar Era
"(2018) https://www.cambridge.org/core/journals/nationalities-papers/article/abs/roma-gypsies-in-hungary-through-the-kadar-era/74599DB7800D46A265E6E49E66D37FE5
(3)Matras, Yaron, "Romani: A Linguistic Introduction"(2002), pp.22-23

参考文献

1.Granqvist, Kimmo, "Lyhyt Suomen romanikielen kielioppi"(2011),Helsinki
https://www.academia.edu/1523925/Lyhyt_Suomen_romanikielen_kielioppi_Consice_grammar_of_Finnish_Romani_
2.Cech, Petra & Heinschink, Mozes F., "Sepečides-Romani: Grammatik, Texte und Glossar eines türkischen Romani-Dialekts"(1999), Harrowitz

注記

※Wikipediaの日本語版ではそのように言及されているが、資料を通して本当かどうか確かめられていない。カリメロの語源について言及するWikipediaのページはイタリア語版にもあるが、語源についてイタリア語の記事では"senza fonte(参照なし)"と注意されている。

※※ロマやジプシーと呼ばれている人々の呼び方についてはさまざまな議論があるため、ここはあえてロマ/ジプシーと併記した形で言及するだけに止める。

※※※カゴあみ方言の処格(位格)の格接尾辞は形の上でトルコ語のものに類似しているが関連は謎である。まず言及がないことと、次に今回比較しているフィンランドのロマ二語やルーマニアやアメリカに移民したロマ/ジプシーたちが使うカルデラシュ方言には処格がなく、前置詞を使うためロマニ語における処格の地位について類推がつかない。

写真

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