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できるか、子離れ

完全に個人的なことであるが、コロナ騒ぎでうやむやにしていたけれど、ふと気が付いたら

長男が6年生になってた

そりゃ、なるんだけど。

2008年、北京オリンピックの年に生まれた長男。多動気味の私が、仕事に、プライベートにと、あわあわしているうちに、長男が生まれてから、もう3度目のオリンピックが来て(来てないが)、なんと干支が一巡してしまった🐁 今月、彼は誕生日を迎えて12歳になる。

感傷に浸ってもしかたないのだけれど、長男は甘ったれで、0歳の時など、わたしの膝の上を「住処」としており、そこ以外で眠らないほど。記憶の中では、24時間わたしは長男を膝に抱いていた。トイレも食事もままならなかった。「もう勘弁してくれ」と思っていた。

長男は、2歳の時に大病をして生死の淵を彷徨い、しかし、そこからすっかり元気にカムバックするという離れ業をやってのけた。もっとも容態が悪かった時には、不安すぎて私の心臓が止まるかと思った。病気が心配なのに、生活のために仕事もしなくちゃいけなくて、なんだって人生はこんなに過酷なんだろうと思った。しんどかった。

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↑2歳ごろ。お風呂上りというだけで、頭から丸ごと飲み込んでしまいたいかわいさだった、何でもかんでも写真に収めた12年間。


小学生になっても甘ったれは変わらずの長男は、帰宅後に家に誰もいないとすぐにLINEや電話がかかってきて

いまどこにいるの
いつかえってくの
まだ?
ねえまだ?
ねえ、返事してよ??

と、5分置きに連絡を寄こしていた。(※返事をしてもくる笑)

長男は、若干HSP気味なのか、常に周りに気を遣い、笑っている割に肩をガチガチにこわばらせて、それで疲れすぎて、ときどきパッチーん!とはじけて怒ったりするけれど、基本的には温和でやさしく、かわええひと。

きた。反抗期

しかし。いよいよきた。きてしまった。反抗期

あの、わたしの膝上で生活していた甘ったれ長男が、ちかごろ冷たい。

きっと「親うざい」「お母さん鬱陶しい」「俺のことをわかってくれない」みたいなざわめきが胸の中にあるのだと思う。こちらではっきりそれを感じ取れる。かわいくないことも、言いやがる。

これは成長だ。

かつて、ハイハイの息子が「たっち」した日のように、じいじを呼んでパーティを開いてもいいくらいの出来事だ。

きっと息子は、この時期を経て、親は100%の神に非ずと知り、「ママが言っていること、おかしくない?」と勘づいたり、毒づいたりして、親や世間と自分との距離を測りなおして、

「おのれ」というものは、いったい何なのかという疑問にも、もしかしたら気が付いて、散らかったあげくに、正義感だけを振りかざしてみたり、大人を小汚いと思ったりして、そうして 世界へ“レッツラゴー”の準備をしているのだ。盗んだバイクで走りだす5秒前。

たしかに、12歳の息子が、いまだに24時間わたしの膝で生活するわけにはいかないし、それはそれで困る。40歳になって毎日電話が来ても、それはそれで、いやだ。

つまり、順調に精神も成長しているという証ではある。

だがしかし、

だがしかし、おかあさんは、寂しい。そして、勝手に後悔の念に苛まれている。

わたしの悪いところのひとつだが、悔やむのだ。過ぎてしまった時間を、悔やんでしまう。「時を戻そう」って、できないから切ない。

過去について、よく考えれば一瞬一瞬わたしなりに精一杯だったし、仮に時を戻せたとしても同じことしかできないと思う。

それでも、それでもだ

あぁなぜ、「だっこ~だっこ~」と言われた時間に、もっと抱っこをしなかったんだろう。

なぜ、「ねえ、ままー」という話を、「あとでね」といって遮ってしまったのだろう。仕事や家事なんて放り出して、もっと聞いてやればよかったのに。

なぜ、「いっしょにねたい」という日に、「ひとりで寝る練習しなさい」なんて言ったんだろう。

そもそも、なぜ産後すぐから仕事なんかして、保育園に入れて、子供たちと過ごす時間を減らしてしまったのだろう。

病んでくると、そんなことまで思ってしまう。勝手に泣けてくる。

仕事は好きだし、続けてきてよかったとしか思っていないし、子供たちだって保育園の時間がとても楽しそうだったのに。

彼に、大事なものを渡せたのか

泣いてまで悔やむ理由はわかっている。

わたしは、不安なのだ。

彼に、「幼い頃に手渡すべきもの」を、ちゃんと手渡すことができたのか不安なのだ。

おれは必要な人間である
親はおれを一生嫌わない(という自信がある)
愛されるって心地よい

そういう、根源的な何かをちゃんと彼に手渡せたのか、とても不安。

時は戻らない。ある一定の年齢の時にしか渡すことができない"未来へのお土産"がある。これを思うと不安でたまらなくなってしまうのだ。

「だっこ」と言わなくなった彼の人生に、果たして「だっこ」は足りていたのだろうか。うわー不安。

それでも、わたしがお母さんである

12年を振り返ると、後悔と不安ばかりだけれど、誰がどう言ったって、わたしがしぬほど悔やんだって、

彼のお母さんは私である

これは、変わらない。反抗期が来ても、くそばばあと言われても、彼が大人になっても、そして私が死んでも、変わらない。仮に「だっこ」が足りなかったとしても変わらない。

ならば、

私も前を向いて、まだここからできる「お母さん業」をがっつりやるしかない。

もしかしたら、子離れというのは、私が私に自信を持つことから始まるのかもしれない。

わたしが最も好きな、子育て論はカリール・ジブランさんの「預言者」の一説だ。

あなたは弓である。
そしてあなたの子どもらは
生きた矢としてあなたの手から放たれる。
弓ひくあなたの手にこそ喜びあれと。

わたしなりに、弓は引いた。そして弓をひくことは、いつもとてもたのしい。ありがとう。

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