宿題、なんでやるんだっけの禅問答
子供たち(小3・小6)の夏休み到来。
我が家は夏休みに限らずですが
宿題は個々の自由です。嫌ならやらなくてOK。必要なら手伝うYO!
というスタンス。
長男はいつも「やる」と言って、ぶーぶー面倒くさがりながらも、自ら机に向かって、多くの場合自己完結する(たまにやさぐれるけど)。そして、夏休みも課題を早々に終える。というか今年も夏休み3日目にしてもう終わっている、あいつすごい。
次男は日ごろからやらないことも多いし、やることもある。夏休みはうちの父(じいじ)監督のもとどうにかこうにか8割がたやる。
というここ数年でしたが、異変。
おれ、宿題やってきたぜ どや
じつは、春のコロナ休みの時に、暇を持て余したので、次男と宿題をやってみました。「宿題をやる」という遊びを二人でそこそこ楽しくできたし、なにより「宿題をやった」という勲章を持って学校にいくと、どうやら次男自身に何かしらの自信が出るようで
「おれ、宿題やってきたぜ どや」的な。
へー! いいじゃん宿題!
(勉学が身についているかついていないかはともかく)なにかしらの達成感や効果もあるんじゃーん!
なんて思って、コロナ休み以降今日まで、次男の宿題を手伝って数ヶ月経過。しかし3日前に夏休みに突入し、それにともないそこそこの量の宿題が学校から言い渡されたらば、次男はもうそれだけで、せっかくの休みの楽しさが、初日から半減してしまう始末。どんよりしとる。
「そんなに重いなら、宿題やらなくていいんじゃない?せっかくの休みなんだし🤗」
と言おうかなと思うけど
やっていかないとまた「おれは、やっていない」というわけのわからんトラップで、後ろめたいんだか、自信喪失だかする気がするし
「あ!じゃあ、答えがあるんだし、転写したらいいんじゃない💡
これぞ合理的解決!」
と思ったのだけど。
ええと、、、ちょっと待てよ。と
それって
『学校という基準に合わせ、周囲の物差しによる評価を得るために、答えを写すという意味の薄い“作業”をしておくと、そこそこ安心して過ごせる』
って
おいこれ、ダメな日本の縮図だね、ってことで宿題の意義、迷宮入りの宿命。
ちなみに、私だったらば、と考えると
さんざん会社で1日中働いて、帰宅後に1時間分「今日のおさらい」って言われたら、無理だと思うし
会社の夏休みに沖縄行くぞー!なんてうきうきしている矢先に、帰宅後作文を原稿用紙5枚書けっていわれたら、それも無理。それ休みじゃなくて仕事じゃんと思うし、行く前からキラキラが半減するわ。
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