日報 - 20210511 - “愛”

愛ってなんだろうな。

私は根が善く、人を愛し、理解しすぎるのだと、友人に言われたことがある。きっとそうなのかもしれないというか、どうやら人よりその辺の敷居が一つ低く、大きく、おおらかなように思う。

私のアイコンにも特徴的なハートが描かれ、Twitterの表示名にもハートが飛び交っている。私は人が好きだ。

もちろん、嫌いな人だっている。ただ、どうやら人類という大きな存在そのものに愛情というか、抱擁の気持ちというか、なんというか。伝わるだろうか。とにかく何かあるらしい。好感度に正直だ、という言葉もあった気がする。ミクロではなく、マクロな愛なのか、なんなのか。

一体私の正体がなんなのか。永遠のテーマである。私の姿に触れ、その形を確かなものにすることで、私に手に入れられる何かがあるのだろうか。私の輪郭といえば、私は酔っ払うと輪郭が曖昧になる。その感覚が結構好きだったりする。

閑話休題。大好きな人というか、人類というか、そういうものを愛していることには当然代償を伴う。この場合は、とてつもない苦しみである。人を愛することには、苦しみを伴うのだ。人の死を始め、人の苦しみを自らのものとすれば、人ひとりには抱えきれない苦しみを自分のものにすることになる。

だから何、というわけではないが、あなたがこの世を去る悲しみを私は抱えたくはない。それは私にも抱えきれない苦しみと悲しみになるはずだから。そのためには何をするべきか、わかっている。

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