日報 - 20210509

私の手がゴツくなることが愛おしい。

私の手は蝶よ花よ、箸より重いものを持ったことのない綺麗な手だった。そう言われるのが嫌いだったのかわからないが、私の手が仕事を始めてから少しずつ大きくゴツくなっていくことがとても愛おしいのだ。どこが変わったのかはわからないが、指を組んだときの感覚がはっきりと変わってきている。

私が仕事を始めてからというもの、やはり精神的に良い影響を与えているように思う。現実世界での役割みたいなものを手に入れたことで、少なからず私に存在意義みたいなものを与えてくれて、この地に足つけることに抵抗が和らいでいるような気がする。

全てのモチベーションは、私のお金で私の買い物をすること。箱入り息子であった私は、自らの境遇がずっと気に入らなかった。ようやく私は私になれたというか、羽根を広げる抵抗のようなものを払うことができたというか。どんなポエミーな言葉で飾りたてとも、正直上手に言葉に起こすことができるとは思えない。

とても嫌だった。私の金ではない金が私に費やされるのが。そうでなければ私は生きてはいないが、それでも全く構わないと思っていた。長く良い人間をできていなかったことはもうどうでもよく、ただただ私の存在に絶望していた。なあなあで生きてきたはいいのだが、それでも苦しかった。

色々な転機を経て、私は社会復帰への道を歩み、2~3年ほど後にこのチャンスをものにすることが出来た。精神障害者として生きていく上で、社会復帰の中で学んだものは多かった。私は軽めの方かもしれないが、色々難しいことは多い。それを言い訳にしたいわけではないが、それを理由に箱入りになったり、蝶よ花よ、そういうのがとても嫌いだった。自分の足で立てないなら、生きている意味はないと思っていた。

私が私であることは、とても大切なのだと、改めて思う。

亡父が見たらなんと言うだろうか。


これ日報でもなんでもなくてエッセーだな(今更)今日やったこと書きます。


なんもねえな。しょうがないからVEデーでも祝っとくか:tada:

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