嫌いな言葉:努力、義務、常識

僕はタイトルにある3つの言葉が嫌いだ。
この3つの言葉に対して思う事を
語っていきたい。

① 努力
努力する事はカッコいい。
ただ努力を努力と思わず、夢中になって
やっていたら気がついたら努力していると
思われていると言うのが理想なのかも
しれない。努力という言葉からはどうしても
やりたくない事を無理矢理頑張ろうとしている
というニュアンスが感じられるから嫌いだ。
やりたくない事を頑張っている時の気持ちは
決して気持ちいいものではない。
そんな気持ちを日々感じながら生きる
くらいなら怠惰に過ごす方が
努力するより楽しいのではないか。

② 義務
人間は義務でない事を義務だと思い込むのが
好きな人が多い印象だ。冷静に考えて
本当にやるべき事などほとんどない気がする。
なのにやらなければならないという義務感で
自分の首を絞めているのだ。そういう義務感が
人を不幸にするような気がしてならない。
義務の思考から脱却することが自由への
第一歩という気がしている。
とは言え色んな所にルールなるものが
存在し、それを守る事が義務であると
考えられるし、義務を守らない事で被る
不利益は多い。ここで大事だと思うのは義務を
果たさないことでは無く、義務を義務と捉えずに遂行できる心理状態を作れるようにしておくことだと考えている。もっと言うと
やるべき事ややらされている事に対して自分の意志でやっていると言う感覚を感じられる
ようになれれば義務を遂行していても
義務感なる負の感情からは逃れる事が
できるのかもしれない。

③ 常識
常識とか世の中と言う言葉を使いたがる人が
僕は嫌いだ。そもそもそう言ったものは
特定個人の経験のみに依存している世界の話
で本当の意味での常識でも世の中でもない。
だからそう言う言葉を多用する人ほど、
思い込みが激しいんだなと思い、マイナスの
印象を抱いてしまう。色んな人が偉そうに
常識だの世の中だのと言っているが、
それをハイハイと聞いているふりをしつつ
受け流せるような社会人になりたい。

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