2021年7月3日

とある国の女の子は、外国で暮らしてみたいと思っていました。

女の子は英語が得意で、スペイン語もロシア語もうまかった。日本で就職することが考えられずに大学を出てメキシコに1年間行きました。帰国後、もっと南の国に行きたいと今度はコロンビアに行きました。

コロンビアの大学院を卒業し、そのまま現地就職して会社をつくり、現在は日本と2つの拠点で組織を運営しています。

女の子は結婚して子供を2人授かり、幸せに暮らしています。

あっという間の10年間。明日7月3日は、私がコロンビアの土を踏んで記念すべき10年目の日。

まさか日本で過ごすことになるとは思わなかった。でもコロナ騒動が10年前でなくてよかった。ここまでのステージをつくりあげてのこの情勢は、キャリアシフトやライフチェンジを私にもたらしている気がするからだ。

まだ10年前はいけいけどんどんで、失敗しても自分にだけ迷惑がかかった。ルームメイト、大学の授業、人間関係、恋愛関係。うまくいったもののほうが少ない。何かの出会いがあるかもと毎週ディスコテカに繰り出して、時間を無駄にした後悔と重たい頭とともに目覚める朝。語学だって授業についていくレベルじゃない。修士論文だって、提出2週間前に教授から「出したらだめ」と言われて目の前が真っ暗になった。でも、人のいうことをきかない性格で、押し切って出したらちゃんとパスできた。思えば、「周囲のいうことは話半分に。自分を信じなくて誰を信じる?」を会得した10年間だった。

7月4日以降の10年間はどんなふうだろう。35歳の私の、45歳までの道のりは。小さな子どもは手がかかってしょうがない。パートナーともお互いの取説を必死につくっている最中。住む場所だって、仕事だって、常にあらゆることを同時進行で考えて、一つずつ解消していく毎日。気が張っているなんてものじゃない。倒れるなんて選択肢すらない。

だけど、自由だ。私は自分がこうしたいと思ったら、とりあえずゼロから1にできる程度の体力、気力、経済的余裕がある。留学したくて身もだえしていた中学高校時代、変わりたくてしょうがなかった大学時代を経て、あの頃ほしかったものが重たい責任とともに手中にある。それを維持することはものすごくめんどくさいのだけど、常に何かを生み出さなくてはいけないのだけど、でも10年間で私が培った間違いない財産たち。

10年前の自分は今頃機上の人。

不安を隠して窓の外を眺めているのかな。大丈夫だよ、と声をかけてあげたい。あなたのその勇気は間違いじゃなかった。

今の私がこんなに満たされているのだから。ありがとうね。あなたの10年間のバトンを、この先もつなぎ続けるよ。

主に書籍代です。