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ビッグダディ一考察

朝からどんよりした天気。こうして梅雨って始まるのかと思いつつ、今後10日間の天気予報を見て、主に洗濯の予定を立ててサラダとコーヒー、みそ汁、昨日の煮物の残りの朝食を一人で済ませる。いつもの習慣で筋トレをして、夕飯のメニューをラインのメモ機能に打ち込んでおく。ノンカフェインのコーヒーを淹れる。ここまでが一連の出来事。

いつもは誰かが騒いでいる誰もいない家で音がないのはさみしい。子ども2人は今何をしているだろうかと常に気にする母親でいる予想が外れ、いってきますのドアが閉まった途端かえってくるまでほぼ家族の存在を忘れている。だけどそれでいい。私には私の人生、時間があるのだから。

適当なYouTubeを観ているとビッグダディにあたった。私は彼のことがわりと好きで、特に親としての姿勢や子どもとのかけあいが見ていて飽きない。弁当作りや夕飯作りの動画は家事しているときのながら見に気に入っている。

ビッグダディ。言い訳しない。周囲の声を聞かず、ただ愉快だからという理由で自由にぴょんぴょん生きている。よくある大家族のような長女は15歳で未婚のまま出産、次男は絶縁状態、ではなく家族がとにかく仲が良い。

この身長158cmの父は言う。「どんなに頑張って育てようとその子なりにしか育たない。親の責任なんて、あるようでない」と。

実の親にこんなふうに声をかけてもらえたらどんなに嬉しいだろうとほうっと聞き入ってしまった。

私は数年前コロンビアでコンサル会社をつくり、出産のために一時帰国したらコロっちゃって日本でも支店をつくった。その間に出産、乳飲み子を抱えて産後数か月から4時に起きて仕事した。ただし、母の住む実家で。

子育てが終わり自分だけの生活のはずが、Eテレや二歳児の阿鼻叫喚に邪魔されてたまったものではなかっただろう。母はだんだん元気がなくなっていったし、夫がきている週末などは自室から出てくることもなかった。それでいて、私が決まった時間に夫に昼食を出さないと途端に責める口調になった。

そのとき、「こんな女性と結婚したら、外で息抜きしたくなるだろうな」と思った。完璧主義な自分しか許せないタイプなのだ。

「なんでも自分の思い通りにやりなさい」と母は言った。それは自由にのびのびと、ではなくて自分が料理ができるように、掃除ができるように、滞りなく家事が済ませられるように子どもを頑張って寝かしつけしなさい、コントロールしなさいと同義語だった。私は、この人とは二度と暮らさないと思った。

離れて暮らす今は関係は良好だけど、実の親子だからこそ一度自立したら生活はともにすべきではないという教訓を得た。仲がいいのは物理的距離があるからなのだ。

「家族が仲がいいのは当たり前」とビッグダディは言い切る。私もそう思いたい。離れて暮らして、時々聞く母の声はとてもほっとする。

産後、こんな機会もあろうかと母に料理を習っていた。それはある意味機嫌とりだったのだけど、うれしそうに煮物やお客さまが来たときにぱっと出せる和食を教えてくれた。大学を出てからずっとほぼ外国暮らしでそのまま結婚し、ろくな花嫁修業もなかったので今思うといい時間だったのかもしれない。

あのころ鍛えられたかぼちゃの煮物、すっかり得意料理になりました。


主に書籍代です。