見出し画像

オリンピックをやるのかやらないのか

人間誰しも好きな家事、嫌いな家事があるけれど、単純には仕切れない。「広くて綺麗なキッチンでゆっくりと時間をかけて作る料理」は好きな家事だし、「あと5分で出発するのにまだ化粧もしてない中干す洗濯物」は嫌いな家事に入る。

先週は天気が落ち着かず、溜まった2日間分の洗濯物の4回目、何十枚目かのタオルハンカチを広げた途端、干す場所がないのを目の当たりにして「もうイヤーッ!!!」と爆発し、あやうく全部捨てるところだった。最初からコインランドリーの10kg乾燥コースにしとけば家族に当たり散らすこともなかった。物干しハンガーの2つ目Amazonでポチり、いかにストレスなく家事できるかを模索する週末。収納術よりも、ミニマリストの暮らしをやってみたい。私は視覚が最も重要で、目の前がゴチャつくのが腹が立つとわかったから。

今日は布団を干しながら、オリンピックについて考えていた。開催するのかしないのか。全く関係ないし、観ることすらないのだけれど、個人的には開催してほしいと思う。もとい、しなくちゃいけないレベルの話だと思っている。

そのまた昔、私は南米のとある国の日本企業の現地職員をしていた。そこで日本の税金を使って現地向けにセミナーを企画していたのだけど、末端スタッフの私ですら日付変わるまで資料作りをして、出席リストをつくり、たった2時間のセミナーのために半年以上の時間を費やしていたことを思い出す。会場の下見に行ってホテルスタッフに台車を借りて運搬して、会議室の備品コストや「トイレはこちら」の印刷を日本語・現地語で作成して枠にはめたり、それはそれは地味な調整作業。でも若かった私は「仕事をしている自分」に酔いしれて、ただ開催することがゴールだった。

東京オリンピックのあらゆる細分化された業務の中にも、抜擢された人もいればただ任された人もいるだろう。市町村に就職してホストシティとして、得意な英語を使う機会に燃えているスタッフもいるかもしれない。

あのころの面映ゆい自分が見え隠れするようで、開催してほしいとだけ思う。

このハナシ、明日も書こうかしら。



主に書籍代です。