2018 群馬大学 教育学部 文科社会系 国語専攻 小論文 模範解答

オープンチャット「大学入試 小論文 対策相談室」


1:

 筆者によれば、ある言葉の使用法について、それが間違いである根拠は「辞書に載っているか」、いいかえれば「自分が言語を学んだときに使われていたか」という世代差にすぎず、一方を誤用、他方を正用というふうに区別するのは論理的に見ればおかしい。
 私は「時差による線引き」をおこなうことに対して反対である。まず「時差による線引き」とは、筆者によれば、自分が言葉を学んだときに流通していた使用法を正しいものと見なす一方で、流通していなかったものを誤用とすることである。しかし、言語は常に変化するものなのだから、唯一の正しい言葉遣いなどというものはそもそも存在しえない。辞書とは、それを編纂した時点で定着した語彙を集めたものである。それゆえ、辞書に収録されている言葉は、決してある言葉の使われ方が正しいからという理由で載せられたわけではない。仮に正しい言葉遣いというものがあり、辞書にはそれが載っているというのであれば、辞書を改訂する必要はなくなるはずである。
 以前NHKの番組で、「椅子に座る」という表現は誤用であり、正しくは「椅子に掛ける」と言うべきだという内容が述べられていた。「座る」は地面や床に腰を下ろすことが本来の使い方だというわけである。しかし、現代においては、「椅子に座って待つ」とか、相手に席を勧めて「どうぞお座りください」などと使われることも多く、すでに一般化した使用法である。それゆえ、一方の使い方を退けるのは、言語の変化と言語の誤用とを混同したものである。
 このように考えると、一般に言語使用の正誤を分けるのは、判断する人がある言葉の使用法に違和感を覚えるかどうかにかかっており、この違和感の有無は、その人がどのような言語形成期を送ったかということに由来する、偶然的な事柄にすぎないと言える。(745字)


2:

まず、「本を読むことが世界を広げる」というときに意味されているのは、読書によって新しい考え方や視点を得られるということである。そして、新しい考え方や視点を得るとは、自分がそれまでに持っていた捉え方や概念とは別のものがあることを知り、従来の見方を相対化することである。たとえば、村田沙耶香の『タダイマトビラ』では、「家族」という概念に対する常識的な理解が徹底的に相対化される。家族のあり方や家族内の人間関係について、それを善いものとか暖かいものと決めつける価値観が否定され、むしろ「家族」という概念に酔う人たちが自己満足に浸るためのものとして捉えなおされる。こうして、「家族」に対する新しい見方、常識とは異なる世界の捉え方を知ることができる。本は、時代、国や地域、文化、言語、価値観などさまざまな点で異なった人によって書かれているので、以上の意味において「世界を広げる」きっかけに満ちている。(395字)


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