2020 神戸大学 国際人間学部 グローバル文化学科 一般入試 小論文 模範解答

問一
人間という概念は普遍的なものであり、個々の人間のあいだに大きな差異のない人間としての同一性が示される一方で、人間は特定の国家の国民という限定的な同一性を有し、国民としての差異を生む点が矛盾する。(97字)


問二
植民地や移民などが国家による恣意的な境界の設定のしかたによって、あるときには帰属する国家という境界内に包含される存在となる一方で、あるときには国家という境界外に排除される存在となる意味で両義的である。また、両義的存在に着目することが不可欠なのは、戦争やテロなどによって引き起こされる境界の変容が社会を変化させており、この社会変動に参加していくのが両義的存在であるからである。というのも、両義的存在は、国家においてやさしく包含されながら支配される対象として自己の同一性に矛盾を抱えているからである。(248字)


問三
筆者は「シャルリー・エブド襲撃事件」を移民2世による犯行のように国家内部のカテゴリーとして捉えるのではなく、両義的他者による活動として見る必要があると考えている。というのも、事件を引き起こしたクアシ兄弟は、フランス社会にとって両義的な存在であるからだ。したがって、彼らは排除されるべき存在だけではなく親和的存在でもあるけれども、結局はやさしく包まれながら支配される対象である。また、宗主国だったフランスが恣意的に引いた境界によって生み出された彼らに、フランス国民としての同一性が完全な形で与えられているわけではない。このように、歴史的に生み出され、今日も続く状況が彼らを排除しようとする者たちとの対立を激化させ、旧宗主国に対するテロリズムの温床となる。さらに、この闘争はグローバルな広がりを見せるのである。
日本においても両義的他者が存在すると考える。たとえば、部落差別を被る人々である。部落差別は、日本の歴史的過程によってつくられた身分的差別によって、一部の人々が長い間、経済的、社会的、文化的に低い状態を強いられ、今なお結婚を妨げられたり、就職で不公平に扱われたり、その他日常生活でさまざまな差別を受けるという重大な人権問題である。被部落差別者は、日本人でありながら、他の日本人である差別者から同じ日本人として扱われない。つまり、被部落差別者は日本人であるにもかかわらず、自分が日本社会にとって排他的他者でしかないという扱いを受けてきた。したがって、被部落差別者は日本社会が生み出してきた両義的他者であると言える。
仮に私がいわゆる部落出身であり部落差別を被ることがあれば、自分が両義的な存在として、自己が分裂してしまうことに苦しむと考える。というのも、日本人であることにアイデンティティーを持ちながら、同じ日本人によって差別を被るならば、少なからず同族である日本人を恨んだり、憎んだりすることになると考えるからだ。つまり、自己のアイデンティティーを否定することになってしまう。したがって、両義的他者ではなく一義的な日本人としての地位や権利を回復するために差別への抵抗を試みるだろう。それゆえ、いわれなき差別や、両義的他者として支配の対象となることに抵抗する必要がある点では、クアシ兄弟の境遇やグローバルな闘争にも一定の理解を示すと考える。(970字)


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