2016 北里大学 看護学部 一般入試 小論文 模範解答

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 筆者はロボット研究の経験のなかから、ロボットに歴然とした心がないのと同様に、人間にも歴然とした心はないと主張している。なぜなら、心、感情、知能、意識とは何かという問題を突き詰めて考えても、それらを端的に示す人間の機能はないからだと筆者は言う。また、実体のない「感情、知能、意識」という概念の存在をほぼすべての人が信じ、人々はそれらの概念に実感を抱いていることを指摘する。しかし、実感を抱くということと、本当に機能として存在することとは異なると筆者は述べる。とはいえ、自分の在り方について考えることこそが人間らしさであることを筆者は認めている。
 以上のように、筆者は歴然とした心がないと主張する。しかし、私は、心があるように「見える」という事実は否定できないと考える。たとえば、他人が怪我をして痛がったり、苦しんだりしていれば、その相手を心配する。また、誰かが困っていれば、その点に共感し、手を差し伸べるということもある。したがって、こうした人間の振る舞いから、心があるとは言えないまでも、心があるように「見える」という点は否定できないと考える。人間に心があるかないかという問題は、たしかに解き難い問題である。しかし、筆者が、人が自分自身ついて考えることに人間らしさを見出しているように、心があるように「見える」点に人間らしさを見出すことができると考える。人間が他の動物やロボットと異なるのは、心があるように「見える」という事態を相互に認識することができ、そこに人間らしさを認めているからだと考える。
 心があるように「見える」という現象を確認し合って、わたしたちは生きている。つまり、他者に心があるように振る舞うことは、自分の心の現れとして他者から解釈される。それゆえ、こうした振る舞いにおける現れに、われわれが人間らしさを滲ませることが人間を人間にさせている要因の一つだと考える。(788字)

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