2018 上智大学 総合人間科学部 看護学科 推薦入学試験(公募制)小論文 模範解答

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まず筆者は、希望について、実際に意義があるかは分からないが、ともかく何か良いことになるだろうという期待と定義する。この期待は、当たり外れが客観的に決められるような判断(これは予想と呼ばれる)ではなく、本人の気構え、世界への立ち向かい方である。
たとえば、輪投げゲームをする前の幼児は、たいてい、輪がポールにかかるだろうと期待する。これは幼児が希望の次元で発言していることを示している。
また、自分の死を確実に予想している場合でも、残された時間の一瞬一瞬をよく生きることができるという希望を持つことは可能である。
以上に基づいて、筆者は、「学びがい」とは、学ぶ意義に対して漠然とした希望を抱くことだと述べる。いつまでに何をできるようになるかといった明確な予想ではなく、ともかく良くなるだろうという希望を抱いて今をよく生きることが、本当の学びなのである。
私は、学びには二つの種類があると考える。一方には、目の前の仕事で役に立ったり試験でよい結果を出したりするための学びがある。資格取得のための勉強や、入試対策などはこれに当たる。他方で、目に見える効用があるかは不透明だが、とにかく好きで続けられている活動もある。趣味でおこなわれる写真や音楽活動、好きな作家やジャンルの本を読むことなどがその例である。
筆者が述べる「学びがい」が関わるのは、この第二の種類の学びである。価値や重要性について客観的な予想ができなくとも、その活動にじっくりと熱意を持って取り組んでいく。これは「一瞬一瞬をよく生きる」ことである。
上述のように、筆者は、こうした活動の学びがいを希望と結びつける。しかし私は、第二の種類の学びは、将来良いことが起こるかどうかにかかわらず、その活動をしている現在の瞬間において、すでにその人の人生を豊かにするものであり、だからこそそれを学ぶ甲斐があるのだと考える。
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