2018 横浜国立大学 教育学部 学校教育課程 推薦入試 (地域枠) 小論文 模範解答

オープンチャット「大学入試 小論文 対策相談室」


問1.
学校は、生徒の能力を均一なものとみなし、複数の生徒を一律に、教師が仕事として手取り足取り効率的に教える。しかし、徒弟制度では親方が一人の弟子を、教えるのではなく育てるのであり、弟子に親方が手本を見せるだけで、あとは弟子が自分で考え、試行錯誤しながら技を習得するため、非常に時間や手間がかかるから。(148字)

<別解>
徒弟制度では、能力や性格も異なる弟子に対して、弟子が自分で考え、試行錯誤させることによって技を伝承していくため、「育てる」ことに非常に時間がかかる。しかし、学校における教育は、頭で理解できる知識のみを教え、生徒はみな同じ能力を有していると見なして、生徒に手取り足取り効率的に教えようとするから。(147字)


問2.
筆者によれば、徒弟制度において弟子を「育てる」ことは、性格や能力も異なる弟子が育つことを辛抱強く見守る、慈悲心や、親切心がなければできないという。こうした姿勢は、学校における「教え育てる」ことにおいても重要だと考える。というのも、学校教育においても、生徒が身につけるべき能力や人間性は、知識として教わることで身につけられるものばかりではないため、一人ひとり異なる生徒の成長を見守る必要があると考えるからだ。たとえば、生命を尊重する心、他者への思いやりや社会性、倫理観や正義感、美しいものや自然に感動する心等は、知識として身につけられるものではない。それでは、学校において「教え育てる」ことはどうあるべきだろうか。
生徒たちの豊かな心を滋養するためには、学校生活における活動や体験を通して生徒自らが体得する場や機会を、教師が注意深く見守りながら、生徒が自分なりに何かを感じたり、見いだすことができるよう支援していくことが必要だと考える。なぜなら、心のあり方は、徒弟制度で伝承される技と同様に、知識や言葉を伝えるだけでは育まれないと考えるからだ。したがって、教師には、筆者が述べるように、辛抱強く生徒を見守る慈悲心や、親切心が求められると考える。以上より、生徒たちの心が豊かになる瞬間を見守っていくことが、学校における「教え育てる」ことだと考える。(571字)


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