2019 お茶の水女子大学 文教育学部 人間社会科学科 後期日程 小論文 模範解答
電話が各家庭に普及する以前は、電話機を自宅に設置した少数の家が、近隣者のために取次を引き受けることが多かった。また、受信を近所へ伝える役割は子どもが担っていた。そのため、隣近所で互いの仕事や家族構成などを知り合うことができ、電話連絡による一種の共同体が形成されていた。
こうした近隣共同体は、電話が各家庭に普及したことで消滅したが、同時に、電話が一家に一台あることで、家族全体が情報の周辺部(かかってきた電話が誰から誰へのものか、その電話に出た家族の様子はどうか、家人の職場での状況、友達の名前など)を察知し、家族について知ることができた。
その後、子機や携帯電話の時代になると、固定電話が果たしていた上記の情報共有機能は破壊された。電話をする際、子機や携帯を自分の部屋などに持ち込むことで、家族の誰にも知られずに連絡することが可能になったからである。
こうした電話の普及を踏まえた家族のあり方の変化は、情報所有の個別化の過程と捉えることができる。まず、固定電話の普及以前は、電話機を所有する家庭が取次となることで、誰から、誰に対して、どのくらいの頻度で、いつごろ電話があるのかを知ることができ、近隣共同体レベルでの情報の共有がある程度なされていた。次に、各家庭への電話普及が進むと、そうした情報は家庭ごとに孤立したかたちで所有されるようになった。さらに、子機や携帯電話の普及で、家庭内でも情報の個別化が進んだ。同じ家に住んでいながら、それぞれが誰と電話し、どのような情報のやり取りをしているのか、ほかの成員からはうかがい知ることができなくなった。こうした情報の個別化の結果、公と私、あるいは家庭とその外部という従来の単純な二分法は維持できないと思われる。なぜなら、ひとつの家庭内でもほかの成員が何をしているか分からなくなったからである。これは「私」の領域の細分化と呼ぶことができる。
ただし、このことを考える際には、電話の普及だけでなく、家族の各成員が子ども部屋のような自分の部屋を持つようになったという居住空間の変化もあわせて考えるべきである。すなわち、情報所有の個別化は、電話の普及と家庭における個室化という二つの要素の産物であると考えられる。(921字)