魔法少女が怪獣と闘う話

※欠損描写があります












「ね、大丈夫だったでしょう」

 大丈夫だったでしょう、ではない。

 元々開いているのか否か判別のつき難い瞼をさらに細めてヘラヘラ笑うこの魔法少女は、私を瓦礫の影へ匿うために腕一本を犠牲にしたことをもう忘れているのだろうか。
 腕程度ならば魔法で直ぐに治るから問題ないとでも考えているのならば、いっそその四肢全て奪い取ってしばらく出動できないように自室にでも閉じ込めてやりたい。この女はいつだってそうだ。文字通り身を削ってもそれで誰かが笑うのならば満足してしまうのだろう。
 私を庇って千切れた腕から、蔦の成長を早送りしたかのように肉と骨がめきめきと生えていく。この世界に魔法などという美しい奇跡は存在しない。これは体内のナノマシンが肉体を修復しているに過ぎなくて、私達は現実から目を背けたい市民達に"魔法少女"などという聞こえの良い役職を与えられて生贄に捧げられているだけだ。

 マガイモンと総称される巨大な黒い化物は、先刻まで追っていた獲物を見失ったためか、体の前と後ろにひとつずつ付いた目玉をギョロギョロと忙しなく動かしている。
 そういえば駆け付けた際、真っ先に襲われていたのは衣装のショッキングピンクがやけに目立つ魔法少女だった。おそらく過度に視覚に頼っていて、鮮やかな色彩に反応するタイプなのだろう。
 なら、変身を解除さえすれば。

「逃げよう」
「ダメだよ」

 即答をするな献身女。

「あの子、私達を探してるから今は街を攻撃しないだけなんだよ。私達が逃げたって気付けばまた暴れだしちゃう。放っておけないよ」

 ただ街を破壊するだけのあんな化物まで"あの子"なんて慈しむお前が本当に嫌いだ。街だって私達をこんなにした奴らの街じゃないか。
 お前が全て赦せるとでも思っているのか。そういうところが傲慢なんだ。文句を言ってやろうと息を吸って、



「じゃあ作戦を立てるから、少し待って……」

ため息をついてから、そんな言葉しか出ない自分が、一番嫌いだ。

「ありがと~~~~!ほんっと頼りになる、天才!大好き!よっ将来の担い手!」

 魔法少女に将来がないことくらい解ってる筈だろどこまで頭お花畑のふりをするつもりなんだ。吐き出せない悪態を心の中に溜め込みながら、目の前の能天気でも生きて、勿論腕の一本も飛ばさずに、できれば傷一つ負わないように、この状況を切り抜けられる策がないか、思考を巡らせる。

 まずは状況を整理しよう。
 あのマガイモンは視覚に優れていて、色彩の鮮やかなものを優先的に攻撃する。私達魔法少女が"変身"を解除すれば、ナノマシンが構築した防御用の派手な衣装は消え去り、破壊された街に溶け込めるだろう。マガイモンも今は私達の色彩をターゲットにしたままだろうから、それでしばらくは攻撃されないで済む。
 あとは、マガイモンをどうやって倒すかだ。

 変身を解除し、先程交戦した位置に近付く。あいつは視覚優位のタイプの筈ではあるけど、他の感覚が全くないかどうかは判らない。万が一音で気付かれたらと考え息を殺して抜き足差し足で目的のものを捜す。

 あった。

 マガイモンに吹っ飛ばされた腕だ。本人から切り離された時点で腕の変身は解除されているようだったが、まあ問題ない。私はナノマシンの制御については他のどの魔法少女よりも詳しいのだから。

 痛々しく裂かれた切断面にかぶり付く。犬歯を食い込ませると、腕は私の衣装の一部である鮮やかな金糸雀色のガントレットに包まれた。いつも私の忠告を聞かない忌々しい女だが、切り離された肉体は素直に従ってくれるのか。
 などと、浸っている場合ではなく、早速あの不気味な前の目が腕の色彩を捉えたようだ。私は私の衣装を纏ったあの女の腕を、マガイモンが目で追えるような軌道を即時に計算し、大きく振りかぶって、来た方向と反対側へ投げた。
 想定通り、マガイモンの両の目がガントレットに惹き付けられる。

「今だ!」

 マガイモンに向かって全力疾走しながらナノマシンへ命令を入力し、衣装を構築させる。折角逸らしたマガイモンの視線を戻されないように、目立たない部分から順に変身していく。
 全身が金糸雀色で彩られた頃には、マガイモンの前の目にはナノマシン製の杖が突き刺さっていた。

「やった!やったよ、作戦通り!」

 視界を失ってうずくまった巨躯の向こう側から、無邪気にはしゃぐ声が聴こえる。

「まだ油断しないで。視覚さえ無ければまともに動けないだろうとはいえ、核を潰すまでは生きてるんだよ」

「わぁかってるってばぁ」

 本当に理解しているのか判断がつかないお気楽な声を嗜めながら、マガイモンの核を潰すために岩石のような皮膚をよじ登る。

「それにしてもさぁ、本当に殺す以外にないのかな、だってこの子達だって元々は……」

 先に核の傍に辿り着いていた純白色のニーソックスには、

血が、

滲んで、

「あ、これ?たはは、ちょっと油断しちゃってさ~。キックの直前に気付かれちゃった」

気付かれた?
しまった見通しが甘かった、考えなしだけど私より身体能力はずっと上だから、まっすぐ走って蹴りを入れるだけなら私より早く目を潰せるから安心だろうって、現に私の方は問題なかった、私の方が動作が鈍い分気付かれやすい筈なのになぜ、囮の飛距離が足りなかった?確認はできないが有り得るかもしれない、私のナノマシンはこういう時に役に立たないから、

「でもかすっただけだし、ちゃんと目潰しもできたから!」

は?『かすっただけ』???血が出てるんだぞ、この女私がどんな想いで手を貸してやったと、誰のせいで、


誰のせいで?

 そうだ、元々はマガイモンのせいじゃないか。
 こいつが囮にきちんと食い付いてくれていれば。
 こいつが街で暴れなければ。
 そもそもマガイモンになどならずにそのまま死んでいてくれたなら。
こいつが。


こいつのせいで。



「ね、ねえ!もういいんだよ!この子の核はもう、」

 人が良すぎる涙声とやさしく肩を揺すぶられる感触に、ああ、もう壊れたのか、とぼんやり手を止める。お前が負わせた傷の数だけ、もっともっと苦しんでから死ねば良かったのに。
 マッシュポテトのようにぐちゃぐちゃになった大きな心臓から黒い体液にまみれて輝きを失った杖を引き抜く。死んでからも憐れんでもらえただけ光栄に思え。体液が噴き出てこなくなったクレーターに対して唾を吐きかけた。




 アパートに戻り、醜く黒ずんだ体液で汚れた体を清めるためバスルームへ向かう。
 シャツを脱ぎ、ブラジャーのホックを外すと、黒く硬質化した左胸が露になった。光沢のないゴツゴツした皮膚を撫でてみる。何も感じないそれは日に日に広がっているようだった。

 私は魔法少女になれるような人間ではない。

 魔法少女になれるのは、本来ナノマシンの副作用に耐えることができる体質を持った一部の人間だけだ。
 ナノマシン注射は、元々今後来ると予測されている気候の変動に適応するための処置らしかった。環境が変化しても生き延びることができる新人類への人工的進化。

しかしその計画は失敗に終わった。

 ナノマシンによる肉体の変化に耐えられず死ぬ人間、たとえ一命を取り留めても肉体が肥大化し、自我を失って暴れる人間が続出したのだ。
 この副作用は成熟した肉体では必ずといって良いほど、未成年でも半分の確率で発生するという。ほどなくして市民へのナノマシンの注入は断念された。
 それでも私のように既にナノマシンに蝕まれ、死ぬか怪物になるかを待っている人間は多く存在する。新人類の紛い物というわけだ。何が紛い物だ。副作用への耐性がある魔法少女達だって、ナノマシンによる驚異的な身体能力や治癒能力の向上と引き換えに生殖能力を失い、老化も早まって20年も生きられない、まさに少女として一生を終えるしかないじゃないか。

 未来を迎えるために産み出された筈の魔法少女には未来はない。どうせくたばる命だからと、市民は私達マガイモンの処理を魔法少女達に任せている。
 それでも、みんなの役に立てるなら、と先陣を切ってしまうのがあの女なのだ。魔法少女になる以前からそうだった。困っている人間を放っておけない性なのだ。マガイモンの核を潰すことすら躊躇ってしまう癖に。今日だって、紛い物ゆえに非力な私を庇って死にかけた癖に。

 だから私は、魔法少女の振りをすると決めた。


 幸い知り合いにツテがあり、ナノマシン技術に関する知識を授けてもらえた。そのおかげで、魔法少女のようにナノマシンを行使して変身の真似事ができるのだ。
 私は偽物の力を使って、魔法少女として同じマガイモンを殺し続けている。他人のために汚せもしない手を汚そうとする誰かさんに対して、もう何もしないでくれと祈りながら。

 しかし、ナノマシンを制御できているとはいえ、結局は紛い物。無理を通していることには変わりはない。このところマガイモン化の進行速度が早まっているようにも思う。
 近いうちに私も今日暴れていた穢らわしい怪獣のように、情けをかけてもらえていたにも関わらず無碍にした自我の無い化物のように、訳も解らず殺し、壊すだけの存在になってしまうのだろう。
 そうなったら、あの女は私を殺せるだろうか。やはり今日のように、私のような紛い物にも慈悲を見せて、殺せないまま逡巡してくれるのだろうか。

 ああ、でもあんなに薄い同情で醜い政府や市民や他のマガイモンや魔法少女達と一緒くたにされてしまうくらいなら、

「いっそ、思いっきり憎まれて、殺されたいなぁ…………」

 この血よりどす黒く掻き乱された情緒のうち少しでも、あの綺麗な手に染み込んで、死ぬまで洗い流せなくなってしまえばいい。
 私が紛い物であるとでも伝えれば、あの憎たらしい糸目を怒りに歪ませることができるだろうか。空想に耽りながら、私はシャワーの栓をひねった。