そこの隣のアホこそが、あなたの生きる原動力である

改めて気が付いた事。

あなたの隣にはいつも、ため息が出るほどのアホがいる。私の隣にもそうだ、多分誰の隣にも 毎日の様に軽蔑するほど見下しているアホが居るだろう。あなたはそいつと、顔を合わせないといけない毎日なのだが、そいつと付き合いのにとっくに辟易している。「もうこんな奴、イヤだ」と云う気持ちを通り越して、怒りや敵対心も超えた感情を持っていたのも忘れる位、いわゆる諦めながらもあなたは毎日の様に、今日もそいつと顔を合わせないといけない。

もちろん私にもそんな奴はいる。本人に面と向かって言ったことはないが、彼とはおおよそ頭の出来が違う。どっちが優劣かは置いておかなければならない、恐らく相手もあなたの事をそう思っているに違いないからだ。

しかし彼が、居なかったらどうだろう?

毎日軽蔑しながらも幾つかの会話が紡ぎ出される相手だ、悪人ではないわけだ。仕事もできない訳じゃない、彼のレベル内では頑張っているし、寧ろ業務上はいないと困る存在である。

そんな相手がいないのは非常にものさみしいものだ。

私は今日も奴と顔を合わせなければならなかった。

相変わらず思ってもないようなバカバカしい案件を、さも鬼の首でも捕ったかのように私に報告してくる。「なんて心の狭い人間なんだ!!」再度辟易した。そのような小さな事案に時間を掛けたくはないのに。

一人になって私は思った。待てよ、この不思議な悔しみのこもった呆れ果てた気持ちを私は何度か味わってきている、何であいつはいつもああなんだ??彼の事を、彼の環境、思考能力、行動範囲、状況など、深く考えてみても、贈る言葉も出ない。

帰宅してそんなため息交じりの今日の出来事を思い返すと、私はある事に気が付いた。その心から軽蔑している彼の、情けない天然エピソードで今日は少し面白い1日だったと思える自分がいる。

そして明日もこのアホと付き合わないといけない、愛しいアホだと云うことに気づく。こんなアホでも、会うのが楽しみなのかもしれないし、またアホな事を言ってくるとは思うが、、、いないと困るのだな。

まさにそんな隣のアホ達が、自分の生きるモチベーションになっているのである。人間とは白黒ではない、ありきたりな言い方をすれば「虹色」という事になる。一人の人間が何色もの特色を持ち、その人のエネルギーと共にその光が表出され輝き出されるのだ。それがどんな色なのかは、そのアホの隣にいる自分の見え方次第でもある。(相手からすると自分も七色の阿呆なのだから、それは相手も自分の光を受けて眩しくしているに違いない)

隣人を愛せ、

正解。


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