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人は文化や文学なしに生きられるか
(3分で解説)
強制収容所から聞こえてきた
『アンナ・カレーニナ』で
不思議なことが起こった
女たちに肌の艶や目の輝きが
戻ってきたのだ
極限の中での生きようとする力
ロシア語の同時通訳者で小説家だった米原万理の著書、『オリガ・モリソヴナの反語法』にソ連時代のスターリン粛清における強制収容所の話しが出てくる。
それはその時期、外国人との接触をスパイ行為とみなされて、逮捕される人々が相次いだ。また、かなり乱暴な容疑でいろんな人たちが、逮捕され処刑された。夫が逮捕された家庭では、その妻や子供たちも逮捕され収容所へ送られた。
次々に送られてくるラーゲリ(強制収容所)で餓死する人、また極寒の地での重労働で命を落とす人々。そんな中でも、人間には何とか生きよう、生き延びようとする力が残されている。それはまぎれもなく、内に秘められた「精神性」だった。
生き地獄から抜け出せるなら死も甘美
本文より … わたしたちが到着したのも真夜中で、収容手続きには朝方までかかった。まず全員が素っ裸にされ、髪を止めるためのピンや髪飾りなど先の尖ったものはことごとく取りあげられた。それから、屈辱的な姿勢をさせられて膣と肛門の中を調べられた。
水の配給は薪の配給と同じくらい稀だった。毎日一回、食料が配られた。それはいつも決まってカチカチに凍った黒パンと塩漬けニシンだけ。
「食べたい、食べたい、食べたい」
空っぽの胃袋は絶えず悲鳴を上げる。
「暖まりたい、暖まりたい、暖まりたい」
飢えと寒さと喉の渇きに苦しんでいたのだ。
このいつ果てるともない生き地獄から抜け出すことができるならば、死でさえ甘美なものに思う。そんな気力や思考力さえ萎えてしまった。
ラーゲリには華やかな経歴の持ち主が多かった。女優やオペラ歌手やダンサーや詩人、作家、学者がいた。その夫たちも有名な文学者や学者や映画監督や軍人や党の指導者だった。皆、何らかの悪意に基づいて逮捕され、従って自分たちの夫も父も、自分たち自身も無実であると分かっていた。だから収容所の女たちのあいだには、無言の連帯のようなものが漂っていた ...
強制収容所から聞こえてきた
アンナ・カレーニナ
本文より ... ある晩、女たちが日中の労働で疲労困憊した肉体を固い寝台に横たえる真っ暗なバラックの中で、やわらかなアルトが聞こえてきた。女たちが耳をすますと、それは一人芝居だった。
芸達者な役者は、たった一人で何時間ものあいだ観客を舞台に釘付けにすることが出来る。幸運にもバラックには、そういう役者がいた。キーラ・ザフトマン。本職は女優ではなく化学者だったのだが、女たちはたちまちキーラの舞台の虜になった。
キーラは、次々に書物を朗読してくれた。『モンテ・クリスト伯』や『アンナ・カレーニナ』『三銃士』『罪と罰』など、何冊もの本を読んで聞かせてくれた。
収容所には本が無かった。だからキーラが読んだのは、記憶の中の本。一晩でキーラは一章分の朗読をし、女たちは続きを聞くのが楽しみで、次の晩を心待ちにした。どの長編小説も、誰もが一度は目を通したことがある名作だった。
触発されて元女優の女囚が、シェイクスピア『オセロ』の舞台を独りで全役をこなしながら再現してくれたりもした。そのようにしてトルストイの『戦争と平和』やメルヴィルの『白鯨』のような大長編までをも、ほとんど字句通りに再現したのだった。
「あんな悲惨な境遇にいた、わたしたちがアンナ・カレーニナに同情して涙を流し、イリヤ・イルフとエヴゲーニイ・ペトロフの『十二の椅子』に抱腹絶倒していたなんて、信じられないでしょうね」
夜毎の朗読会は、ただでさえ少ない睡眠時間を大幅に侵食したはずなのに、不思議なことが起こった。女たちに、肌の艶や目の輝きが戻ってきたのだ。「自由の身であった頃、心に刻んだ本が生命力を吹き込んでくれたんですよ」
「もう毎晩が学芸会。どんなに身体がヨレヨレに疲れていても、歌を聴き踊りを見ていると不思議と元気になるんですもの。収容所当局には、歌舞音曲は無用の長物だったかも知れないけれど、わたしたちにとっては生き続ける気力の元でした」…
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