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東京藝術大学油画卒業制作学内審査展 川村照乃の展示

大きな画面の艶やかさが目立つ川村照乃さんの作品、大きな画面の光は、スマホで夜景を撮影したときの写真のイメージのように見えた。人の目とは違う明かりを捉えるような具合。

展示風景, ©️川村照乃

夜景と撮りたいなと思ってiPhoneを構えて撮影すると、肉眼で見るのとは違った写真が得られる。撮りたかったのは、これではないな、と思ったことが何度かある。

単純なやり方での<現実の再現>が、現実について何も語らなくなってきていることにある。

ヴァルター・ベンヤミン「写真小史」久保哲司訳, ちくま学芸文庫, 1998年, p.50

写真と絵画はピアノとヴァイオリンのようであると指摘されている。ピアノは鍵盤を叩けば音がでるが、ヴァイオリンは音を探す。前者は写真で後者は絵画に例えられて、ピアノとヴァイオリンは同一視の中で比較されることはないが、写真と絵画は同列に比較されるという混乱を指摘していた。

川村さんが見せたイメージは、夜景をとるとこんな写真になるよね、ということのように思えた。特に自画像は、こんな写真を撮ったことがあるという記憶に繋がった。

《自画像》, ©︎川村照乃

結局のところ夜景を撮影したことのある人たちの現実を探し求めているのだろう。画面を覆い隠すほどのツヤは写真を見せたいのか、写真が展示されているスペースを見せたいのか、そうした展示そのものを揶揄しているようにも思えた。

《N33.2,18》, ©︎川村照乃

夜景を撮影する際のカメラの技術の限界を見せているのか、カメラが見る世界と実際に見ている世界との乖離を可視化させているのか。

ところで、技術は油画の画面を作る技術(下地の作り方、絵の具の扱いなど)と機械に組み込まれた自動化のための技術とがあることを、あたりまえのことを再認識させてくれたように思う。

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