見出し画像

東京藝術大学油画卒業制作学内審査展 AHMED MANNANの展示

AHMED MANNANさんの展示は、3331で開催されていた2023年の3年進級展でみていた。お父さんと母国語で料理を作るという映像作品《父親が母語で喋って自分も母語で喋って二人で一緒になんかする》が展示されていたと記憶している。ディスプレイの周りに置かれていたのが米であること、長粒種であることに気がつき、食べること、生命の根源と父親とお互いの母語、解釈の糸口を手繰り寄せようと見ていた記憶がある。

《めっちゃデカい家族写真(自分含めた)と、こうならないであろう自分の絵と、こうなるかもしれない自分の絵》, ©︎AHMED MANNAN

展示会場にはハンドアウトが置いてあった。作家の父は海外出身であり宗教上の理由から土葬をしなければならない。日本では火葬が基本になっていて、(とはいえ、私が子供の頃は土葬の墓がまだあったと記憶している。)何気ない家族の会話から父親は土葬しなくてはならないことを知って、日本では埋葬の選択肢がないことを再認識したという。

アトリエの土を原材料とした油絵の具で描いた作品は土葬を暗示させ、線香の香炉灰を顔料にした油絵具で描いた作品は火葬を暗示させるという。二つのルーツを持つ作家を埋葬した絵で、家族の絵を挟んでいる。

メメントモリ
自身に死があることを認識せよ、といったような意味だが、死を考えたとしても埋葬まではあまり考えることはないかもしれない。墓の問題がいろいろなメディアで取り沙汰されているし、映画になったこともある。自分の死後のさらに先の埋葬の話に触れる。とりかかりやすい問いかけに見えて、実は多様性までを問うている作品だった。

いただきましたサポートは美術館訪問や、研究のための書籍購入にあてます。