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SHOHEI YAMAMOTO 山本捷平 iconic @ MEDEL GALLERY SHU 鑑賞メモ

緊急事態宣言が解除されて、帝国ホテルプラザの営業が再開。MEDEL GALLERY SHUも当初ビューイングルームだけの展開だったものが1週間だけ展示ができた。期間が短いので急いで見に行く。

アンスティチュ・フランセ東京で受賞トークショーに参加した。去年のことだと思ってたけれど、これ今年の1月のことだったんだ。

アンスティチュ・フランセの展示で見たradialシリーズ、形とコントラストと色の組み合わせに目が離せなくなったタイミングがある。たしか、展覧会の様子を伝えるTwitterの写真だったと思うけど、実際に現場で目で見ていたときと、写真に撮られたものをPCのモニターで見たときと、違う感覚があった。それからというもの、radialシリーズが気になって仕方がなくなった。

恐らく、トークショーとグリーンバーグが、僕の作品を見る目を育ててくれたような気がする。それって感性ではなく、知識なのだろうか。

細かな点はさておき、2019年は絵画の見方を浮世絵から抽象画、印象派や写実など多岐に渡り体験した。

抽象画の自分なりの味わい方を知ったのは名古屋でコートールド美術館展、岐阜で円空展を見た際だった。それぞれコレクション展で見たパウル・クレーの造形の美しさ、リー・ウーファンの大型作品、照応から、溢れるほどのメッセージを受け取った。

もはや抽象、具象という区分けが無意味な世界に生きている。




Reiterate、自作のローラーによって反復した作品。デジタル上で作成し、キャンバスにアナログで還元される。ローラーによって絵の具を伸ばす、ローラーの位置によって絵の具がかすれていく。ローラーだから同じモチーフが現れるはずなんだけど、かすれた絵の具が、差異を持って反復させる。いや、行為のみ反復ということで、鑑賞者の視覚からすれば、現れたイメージに違った印象を持つかもしれない。全体をひとつ、あるいはローラーの1回転をひとつと認識するか。

モチーフは意味の無いもの、スカルとかバナナとか。

山本捷平氏の作品は、2019年の阪急うめだで開催されていた『NEO SEED』展で見た。スカルモチーフはそれほど好きじゃないし、バナナか。と思ったことを今でも思い出せる。


今回の作品、事前にビューイングルームで見ていたけれど実際に見たときは違った印象を持つ。出かける前は、気になっていたradialをよく見たいと考えていたが、とりわけスカルがよかった。ツヤツヤとした背景の地、その手前に繰り返されるモチーフ、ローラーの痕跡が見て取れる。身体性。生身の感覚だろうか。

そうした色艶からスカルに夢中になり見入っていたが、ふと気がつく。

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スカルであるにも関わらず、口角が上がっている。アレ、何で歯じゃないんだ。そこに気が付くと、途端に反復内省が始まる。鼻の形が骸骨のそれだから、スカルだと連想させるのだけど、そしたら上顎の歯が見えるはず。これは何だ?
知識ではなく視覚で見ることに気付かせてくれた。



ビューイングルームで見ていたのとは違った体験だった。アートのオンライン販売は作品の向き、不向きがあると考える。実際に見たときとオンラインで見たときの違い。僕は、これを「体験と経験」と捉えている。

リモートワークが始まったときに混乱したのだけど、いつもの部屋、デスク、パソコン、ブラウジングとタイピング。体験は同じなんだけど経験が違う。モニターのリモートの先に仕事、学習、交流がパラパラと変わっていく。本業、それぞれの副業、大学院の授業、学習会。経験はそれぞれ違うが、体験は同じである。夢現。バランスが取れるまで苦労した。


山本捷平氏の作品に関して言えば、radialがオンラインとオフラインの不思議な経験をもたらしてくれた。当初はそれほどradialに関心を示さなかったが、Twitterの写真を見て興味をひかれたという点は前述した。「いいな」と思う感覚を最初に持ったのがオンラインの写真。逆にスカルは今回の展示を(オフラインで)実際に見て「いいな」と思った。この印象の逆転をどのように解釈すればいいのだろうか。


最近、美術手帖に掲載されたARの研究。

VRよりもARの方が相性がいいと思う。実業の世界ではARによる職業的な訓練が導入されている。


『あつまれどうぶつの森』は、デフォルメされたアバターを使い、世界に没入していく。自宅隔離の情勢はあるものの、こうした世界への没入が、ゲームが支持された一因と考える。

没入のための儀式。ボルタンスキーの言うアートの洗礼と同義ではないか。

ARにも同等な儀式があるものと想像する。日常に介入してくるアート、ある意味の異物をどのように認識するか。

全く根拠のない私見だけど、まだ我々の脳はVRに適応できていないと思う。体験をまるごと脳内に作り上げるVRよりも、体験に介入するARの方が思い出に止まるのは、そうしたことではないかと思うのだけど、これは別の研究領域。ひとまず、今の修士課程を修了してから、取り組もうかと思う。


いただきましたサポートは美術館訪問や、研究のための書籍購入にあてます。