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あいち2022

アートを巡る旅は愛知県にたどり着いた。会期が2か月と少し、十分に余裕があると思っていたら、あと少しで終わる。無理やりにでも予定をつける必要があった。

常滑会場へ向かう。
一度セントレアを利用したことがあるから、このあたりに来たことはある。特急で通過しただけだけども。名古屋に4年ほど住んでいたが、海側には縁がなかった。
名鉄の利用は難易度が高い。同じホームに何本も電車が来るし、行先が違う。カラフルに色分けされたホームの待ち列の適切な場所に並ばないといけない。行先の駅が終点とは限らないため、路線図とにらめっこしながら、乗るべき電車を見極める。駅員に聞くというオプションは、名鉄の場合は取りづらい。どんどん電車が来るし、人も多い、なるべく下調べしておくとよいかもしれない。

なんとか電車に乗り込んだ。常滑までは40分から1時間くらい。目的地に近づく頃には車両が貸し切りになった。

常滑、セントレアの手前の駅。昔はこの駅が終点だったのだろうか。知多半島については、いろいろな話を聞いた。三河湾の中にも島があって、多彩な体験ができることも聞いていた。名古屋に住んでいる時は、そうしたことに興味が無かったな、あの時は何をしていたのだろうか。

強い日差しに帽子が必須だったな、と思う。

時間を有効に使うため、10時のオープンちょうどに常滑会場を回れるようにスケジュールしていた。少し前の時間にセンターがオープンし、デジタルチケットを物理チケットに交換する。
常滑会場の展示マップをもらい、焼き物の町に提示されたアートを巡る。

作陶の空気にあふれた町、地元の芸術祭を定期的に実施していた。この町に芸術祭が来たことに喜びを表しているような気がした。

ティエリー・ウッスの作品を見たかった。旧丸利陶管で見た映像作品、綿花栽培の様子を撮影している。知多半島も木綿生産が盛んだった。そうした反響のある作品。小規模農家の多い綿花栽培、世界中の人々にとって必要な資源にも関わらず、石油よりも取引金額は低い。そこに旗を立てた。労働集約と資本との関係を見せられているよう。

トゥアン・アンドリュー・グエンと田村友一朗の映像作品が印象的だった。両者ともに映画であるが、前者は思弁的な考察の中に、難民と植民地支配とを見せているが、木彫りを燃やすことで、結局はひとつの船に乗るということを伝えているのだろうか、と考えた。後者は瀬戸の技術の素晴らしさとそれをアイロニーなストーリーに乗せた映像作品の秀逸さがよいと思う。

マップには推奨鑑賞順序が示されており、訪問者に優しい配慮だと思った。INAX の会場以外を回ってみて思ったのは、様々な思惑のある順路であるということ。美術館ではない場所で提示する作品について考えさせられた。

公式本には常滑から有松への動線があったが、名鉄を使う場合、神宮前で乗り換える必要がある。自動車のルートなのか判然としないが、常滑から有松までは、およそ1時間くらいかかる。

名古屋に住んでいた時は東山線沿線だった。勤務先は錦だから、名古屋市は東西しか知らない。しかも、休日はプログラムを書いていたような気がするので、そうした意味では名古屋のことをあまり知らないのかもしれない。有松地区という景観保全地域があることも、もちろん知らなかった。

有松は平坦な地域であり、豪奢な屋敷のいくつかが展示会場になっていた。しかも、現在も人が住んでいるという。絞りの名産地、常滑はアップダウンがあり、廃墟のようになった空き家もちらほら見えたのとは対照的に、整備された町だと思った。そのことをボランティアに聞いてみたら、有松も職人と商人との町であるという。宿場として整備されたことが、常滑との違いだろうか、と自分で納得した。

ユキ・キハラの作品とAKI INOMATAの作品が岡家住宅に展示されている。入口のところで目に入るのが着物に派手な動物と波の表象がされた作品、それが5面連なる。さっと見たアーティストの解説からは、ニュージーランド代表として開催中のヴェネチア・ビエンナーレに招聘されたとあった。
名前からは日本人のように見えるが、文化剽窃と批判されないのだろうか、ということが心配になった。
日本人の父とサモア人の母を持つという。サモアのテキスタイルを使った着物は、彼女の二つのルーツを鑑みて昇華したような、そんな印象を持った。

そうしたことを考えている時に、先ほどのボランティアが話しかけてきた。作品の話、有松の話、感想などを会話した。どこからきたのか?と尋ねられたので、東京だが、この旅は瀬戸内から始まっていると説明すると、とてもキラキラした目で「いいなぁ」と声がもれる。恐らく80代と思われるが、こうしたアート体験が、彼をイキイキと見せているかもしれない。

AKI INOMATAの作品、暗い土間、むき出しの梁、そこに渡り廊下があり、高精細のディスプレイパネルがいくつか設置されている。提示されているのはカラフルな布をまとうミノムシ。4Kの映像の明るさと歴史ある建物のコントラストのある空間は、まるっきりアートだった。

常滑と広さは同じくらいだろうが、アップダウンがない分、有松は観覧しやすかった。途中、白杖を持った方が、靴を脱がないと鑑賞できないということで、いくつかの会場で観覧を諦めていた。

常滑と有松、対照的だが似たような会場、既に黄昏に向かう時間、金曜日だったのでナイトミュージアムがある。名駅に戻る。

青空なのに、夕焼けが見える。リモートワーク主体になってから、日の傾きや昼の長さがわかるようになった。

10階はコンセプチュアル・アートの歴史と経緯を振り返るかのような展示、オタク的なハードコアな展開に驚くとともに、常滑、有松と、全くアートの提示であると思った。けれども、美術館で提示することと、歴史地区で提示することと、作品もそうだが、より言葉を添えなくてはならないという点に気がとまった。そして8階はデジタルや機械学習などを提示するかのような作品が展示されていたが、こちらは幾分拍子抜けな感想を持った。


翌朝、一宮会場を目指す。名駅からはJRと名鉄ですぐに到着できる。この日はJRを使い、新快速に乗って一宮へやってきた。
名古屋モーニングというが、発祥は岐阜とも一宮ともいわれている。ドリンクの代金で、様々なものがついてくるのは岐阜と一宮の両方に見られる。名古屋あたりは探さないとならない。ただ、ほとんどのお店は、コーヒーを注文すると、ピーナツを出してくる。
一宮モーニングを楽しみつつも、オープニングの時間を待つ。

のこぎり二の塩田千春のインスタレーション、赤い糸が直線とネットとで、古い機械に絡まる。織物の町、副業のアパレルのクライアントの取引先が、このあたりにも沢山ある。モノづくりにまで関与しているわけではないため、こうした機械に関しては疎いものの興味は尽きない。

一宮会場は離れた二か所に展示がある。バスを使うのが便利だと思うが、離れているためか、常滑、有松と比べると芸術祭をやっている盛り上がりは薄いように思えた。

一宮会場では、西瓜姉妹が最高だった。スケート場は残念ながらメンテナンスのために見ることができなかった。


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