《情報は常に不足している、だからマニ車を回そう》何 梓羽 /HE ZIYU
昨年から全国の卒業・修了制作展を見て回っている。今年も卒制シーズンが始まった。思えば一年前に、初めて武蔵野美術大学の鷹の台キャンパスにやってきた。あれから一年、長いような短いような。
2024年の武蔵野美術大学の卒展は入場制限なし、予約も不要だった。
何 梓羽さんの作品《情報は常に不足している、だからマニ車を回そう》を見ていると声をかけられた。声をかけられたタイミングでは作品の名前は知らなかった。
大きな立体の作品、高さは2mを越えているだろう。回転遊具のような印象を持つのは中心部の楕円形の金網が、緑色が目立つから。その周辺を外骨格のように八本の四角の鉄のレールが垂直位置に囲んでいる。なんらかの装置だろうか。真ん中の円柱の下にあるキャスターが、回転できることを示唆している。
これは何か、と考えている最中に声をかけられた。
鉄のレールを取り囲むループを持って回転させることができるという。回転させてみたら、ますます回転遊具のように見える。
声をかけてきたのは、作者のHE ZIYU さんだった。四川省出身、出身地の近くのチベットのマニ車からインスピレーションを得たという。
回転するたびにカウンターが回転数を数える。
時計回りにも、反時計回りにも回転させることができ、回転方向によってカウントアップするか、カウントダウンするかが決定する。マニ車は回転によって経文を読んだことと同じ功徳を積むことができるというもの。もし、センサーや製鉄技術のある現代の技術を持って、マニ車が作られた時代の精神性だったとしたら、こんな姿になっているのではないか。仮にこの作品が1000年後にあったとしたら未来の人達へ、年代を経たことによる神秘性をまとうのではないか。
そんな神秘性をまとうかのように、作品の上部には高い音域の音が鳴るような仕掛けがある。回転したということを告げる鐘のようだ。
この作品の規模では回転をすることで発電することもできる。だが、あえて発電ではなく、段差をつけて音が鳴るようにしたという。
大がかりな装置であるが、回転することは無意味であり、回転によって発生したエネルギーを無意味に浪費する。この作品は宗教や、エネルギーに対する紛争へのカウンターであろう。情報があったとしても、不足していたとしても、マニ車を回すことしかできないのだろうか。