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現代アート研究

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現代アートを学び始めた外資系IT企業のプリセールス。 難解な現代アートを探求する学びの記録。
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2022年9月の記事一覧

あいち2022

アートを巡る旅は愛知県にたどり着いた。会期が2か月と少し、十分に余裕があると思っていたら、あと少しで終わる。無理やりにでも予定をつける必要があった。 常滑会場へ向かう。 一度セントレアを利用したことがあるから、このあたりに来たことはある。特急で通過しただけだけども。名古屋に4年ほど住んでいたが、海側には縁がなかった。 名鉄の利用は難易度が高い。同じホームに何本も電車が来るし、行先が違う。カラフルに色分けされたホームの待ち列の適切な場所に並ばないといけない。行先の駅が終点とは

リヒターを見て、岡本太郎を見て

東京国立近代美術館の「ゲルハルト・リヒター展」を見た。確か9月の始めくらいのこと。 誰だったかアーティストのツイートで、リヒター展の感想を次のようにつぶやいていた ”(表現が)ほとんどやらられている。これからの人はどう(表現したら)いいの” というような内容だったと思う。美術館の2時間ほどの滞在で、その指摘がリフレインする。 展示会場入ってすぐのところにビルケナウが展示されている部屋があった。後輩のゼミ生がリヒターに向き合い、ビルケナウに向き合っている。彼にとっては大変な時期

瀬戸内への旅 淡島、丸亀、直島

スケジュールの合間、一週間のスポットができた。 香川県の友人からいろいろと相談があり、当初の思惑からは少しずれてしまったが、打ち合わせも兼ねて、香川にでかけることにした。 訪問にあわせて友人が綿密な計画を立ててくれており、かなり充実した滞在をすることができた。 最初の目的地は淡島 淡島芸術家村では、秋会期に向けた作品準備をしていた。島民と一緒になって作品を作る。過去の作品も見せてもらったが、結果としての作品と作品を作る過程とが、共に島の暮らしとのサイクルを形成しているよ

伊藤雅浩「絶対写真論 アルゴリズム・オブジェクトとしての写真へ」読書メモ

写真は、かくも深遠なものなのか。 何が写真となるのか。写真を取り巻く技術や考え方の変遷を捉える。 伊藤雅浩の絶対写真論 カメラでの撮影、現像、プリントが技術の進化や、アナログからデジタルへのシフトよって、技術から操作へと変遷してきた。撮影にあたり専門スキルが必要ではなくなる。つまり、デスキリングが行われた。 フルッサーの言葉を引用し、カメラの操作者(いわゆるカメラマン)ではなく、カメラを作った技術者がアーティストと呼べるのではないかと問題提起する。そこに疑問を持ち、それ